2012年5月4日金曜日

昔の美しい中国人の女性はどんな顔だったんですか? 日本は昔、目が細くておちょぼ...

昔の美しい中国人の女性はどんな顔だったんですか?

日本は昔、目が細くておちょぼ口な女性が美しいとされていました。

お歯黒に色気を感じる‥とか。


中国はどんな特徴が美人とされていたんですか?







繰り返しになってしまいますが、時代によって違います。



例えば唐代は

「体態豊腴、豊胸肥臀」

要するに胸もお尻も大きい豊満な女性が美女の基準とされました。

楊貴妃などはこのタイプだと言います。



宋代になると

「身軽如燕,身姿窈窕」

燕のような身軽でスリムな女性、漢代の趙飛燕のようなタイプが美女とされました。



春秋戦国時代(紀元前)の楚の国では腰部が細い女性が好まれたようです。

このような細い腰を「楊柳腰」と言います。



お尻はどの時代でも大きい方が好まれたと言われています。

これは子宝に恵まれると考えられていたからのようです。



女性が装飾に気を使うようになるのは魏晋南北朝時代頃からのようです。

唐代には胸元を大きく開けて豊かな胸を強調する服が流行したと言われています。



以下、美女を形容した四字熟語を挙げてみます。



まず顔です。



「烏髪蝉鬓」

カラスのように黒い髪の毛、もみあげはセミの羽のように薄いこと。



「娥眉青黛」

古代では眉を全て剃り、青黒い顔料で眉を描いていました。

「娥」とは美しい女性の意味を表す漢字で、「娥眉」は「細くて曲線が美しい眉」のことと言われています。



「明眸流盼」

ぱっちりした大きな目のことです。「流盼」は「目玉を動かして相手を見る」の意味ですが、黒目が大きい瞳で見つめられた時の可愛らしさとかセクシーさの事を言うのかなあ・・・。



「唇紅歯白」「朱唇皓歯」

紅の唇に真っ白い歯。



顔の形は「瓜子」や「鵞蛋(ガチョウの卵)」のように上が丸くて下がやや尖った形が美女の基準とも言われています。



これらをまとめると

「楕円形でアゴの方が細く、髪は黒々としていてモミアゲは薄い。眉は細い曲線で、瞳は大きく、唇は赤くて歯は白い顔」が古代美女の顔のようです。



次は身体に関してです。



「細腰雪肤」

腰が細く、雪のように白い肌。



「玉指素臂」

玉(白い翡翠)のように透き通ったような白さの指と腕。どちらもガリガリでは無く適度に肉感が有る。



「肢体透香」

肢体から香りを醸し出す。

伝説の香妃(乾隆帝時代)は本当にいい香りがしたそうです。

本当の香りではなくフェロモンというか、異性をひきつける何かのことと考えてもいいかもしれません。



最後に小説『金瓶梅』に出てくる美女藩金連の描写です(文才が無いのでかなり意訳します。興味が有ればしっかりした訳本を読むことをお薦めします)。

「カラスのように黒々とした髪、新月のように美しく曲がった眉、甘く香るサクランボのような口、玉のように筋の通った高い鼻、赤く艶やか染めた頬、愛らしく銀の盆のように白い顔、軽くて柔弱で花のような身体、玉のように細くて白い手、片手でつかめそうな細い腰、柔らかくて粉をつけたような白いお腹、先が尖って上を向いた足、豊かに肉がついた胸、白くて生々しい脚」

というような感じです。

『金瓶梅』は明代の小説ですが現代の美人にも共通していると思います。





追記;

frogman03544様が美女の産地を挙げていますので私も便乗です。

中国で美女と言ったら「江南、川渝、湖湘」です。



「江南」は南京から蘇州の辺り。

古くから才女、美女の産地として西湖等の風景とセットで天堂(天国)と評されています。

「蘇杭美女甲天下(蘇州、杭州の美女は天下一)」とも言われています。



「川渝」は四川と重慶。曇りの日が多く、色白で肌がきれいな女性が多いということで有名です。

但し、江南美女が都市的美女だとしたら川渝美女は純粋な山中の美女という感じです。



「湖湘」は湖南、湖北です。

桃源郷のモデル桃源県は湖南省にあり、江南とは別の天外境が湖北、湖南に求められることがあります。

「湘女多情(湖南の女性は情が多い)」とも言います。



逆に美女が少ない場所は「河南、貴州、広東」と言われています。

河南は黄河と黄土の水土が美人を生むには向かないとか、貴州は貧しすぎて女性も貧相とか、広東は色黒で痩せすぎとか、まあ、あまり書くと顰蹙を買うので悪い方はこれくらいで・・・。



個人的な意見では、山東省や東北女性は背が高く顔立ちもはっきりしていて典型的「美人」が多いと思います。

四川、重慶は肌は良いのでしょうが、背が低くモデル体形は少ないです。

しかも性格がきつい子が多いです。

上海等で美人が多く感じるのは服装や化粧が上手だからでしょう。

広東は確かに美人は少ないかもしれません。唇が大きくて鼻が低くて丸い南方系。

歴史にはあまり出てきませんがウイグルは美女が多いです。

ロシア系とアラブ系とアジア系の混血のような綺麗な娘さんたちばかり。

でも中年になると3倍くらい太ってしまうようで、20歳前後の娘さんとちょっと年上の女性とのギャップがなかなか・・・。

あくまでも個人的な意見ですので、あまりまじめに受け取らないでください・・・。








中国では「中国四大美女」である「西施(春秋時代)」「虞美人(秦末)」「王昭君(韓)」「楊貴妃(唐)」が今日にも歴史的に語り継がれていますので、相当の美女だったと思われます。

詳しくはネットで検索して下さい。



個人的には「中国四大美女」+1で中国五大美女です。で・・・プラス1の美女は勿論私の彼女です。

でも上海人の男性友人が私の彼女を見て私に言いました。「お前の彼女はブスだな!」って。

(中国人は・・・こういうことを平気で言います。でも美人には個人差がありますから気にしません)

でも良いのです。自分の愛した女性ですから・・・まちがいなく中国美女です。



話は戻りますが、「中国四大美女」の中でも「王昭君」が一番の美女ではないか?と思われます。

それは彼女をブスに画いた絵師を皇帝は怒りのあまり殺してしまいましたからね。

詳しくはネットで調べて下さい。







この質問に答えると、

「またfrogman03544は、美人ネタに食いついて」と一部で言われそうですが・・。

だって、女性(美人)は好きなんですもん・・。



先の回答者さんも述べられているように、

中国の美の基準は、年代によって変化しています。

細くスレンダーな趙飛燕(前漢)グラマラスな合徳(超飛燕の妹)、

福よかな楊貴妃(唐)などが有名です。



そういう美女に共通してあった条件は、「長・美・白・」

長は身長が高い、美は当然ですが容姿が美しい、白は皮膚の色が白いこと、

特に唐代は、平静で開放的な世相でしたし、

服装や化粧、ヘアースタイルなどの美への追及が花開いた時代のようです。

唐時代の代表的な美女「楊貴妃」は、

キュウリも大好物でいつでも食べられるように、

温室栽培させていたそうです。

食べる他に、キュウリの汁をキュウカンバといい、

古くから化粧水として用いられており

(今もパックにきゅうりの輪切り使いますよね)、

楊貴妃も肌をつややかにするために使用していたようです。



もうひとつ、

手羽先もまた好物だったようで、鳥のゼラチン質がふくよかな身体や、

つるつるのお肌を維持するには最適らしく、好んで食べたとされます。

美の追求は何時の時代も女性を(今は男性も・・)虜にしますね。



その他の美の基準としては、



①髪は漆のように黒く、量は雲のように多いこと。

長くて光沢があり、よい香り。

鬢(びん)は蝉の羽のように薄い鬢が良い。

この髪型は魏の文帝の時代の宮女が発明し、後世に伝わったといわれます。



②髷は雲や霧のように高く結い上げるのが良い。

楊貴妃を詠んだ「長恨歌」に、雲鬢(ふんわりした鬢の毛)とあります。

新興まげ、馬から落ちて傾いた形とされる堕馬まげ、



三国時代、明帝の生母である甄皇后が、

後宮に入って間もなく、

彼女が髪を梳かしていると、

一匹の緑の蛇が現れて、

その身をくねらせてさまざまな髪型を彼女に教えてくれました。

『霊蛇髻(れいだけい)』

(神に仕える蛇が教えてくれた髪型)と称され流行りました。



③眉はそり落として眉墨で描く。

蛾の触角のような「蛾眉」、繊細な「愁眉」



④目は大きくて黒い。流し目は何時の時代も女の武器、

「美女は眉目の間にあり」



⑤唇は血のように赤く、歯は陶器のように白い。



⑥指は白魚のように美しく、尖っていて細くて長いのが理想。

「玉指」「繊指」とも言われました。

腕は白く滑らかで凝脂のよう。柔らかく肉付きが良いこと。

楊貴妃の「温泉水滑らかにして凝脂にそそぐ」は有名です。



⑦腰は細くてしなやか、肌は雪のように白いこと。

楊貴妃は牡丹や桜にたとえられ、趙飛燕は楊柳にたとえられました。



⑧足は纏足した小さな足で、それに合わせた小さな靴下を履く。



⑨白粉をつけ、紅を差していますが、目の下の白粉だけ薄く拭って、

泣いた跡のような化粧法(テイジョ)が流行りました。



⑩星のような笑窪と、鴉黄(あき)という化粧粉を、

眉間から額にかけて黄色に塗る。



⑪肌は香気があって、薫りが自然に発生していること。

西施は肌から自然に薫りに満ち、

沐浴後の水は、香水泉と呼ばれ、

人々は争ってその水をもらい、部屋に撒いたといいます。



⑫身体の重みに堪えかねて、

腰をくねらせて歩く「折腰歩(せつようほ)」



⑬虫歯の痛みに堪えられないといった風情で、

引き攣った笑い方「ウ歯笑(うししょう)」



あくまで理想ではありますが、

このような条件を満たした美女を、

時の権力者は求めたようですね。

ちなみに、昔から美人の産地として有名なのが「山東」「らしいですが、

現代の中国の美の基準は、

『山東韓氏美学研究院』が2007年に、

千人あまりの山東美人を対象に、

頭、髪、顔、目、眉、鼻、口などの体の37か所の部分を調査し、

各部分の黄金の数値をはじき出した数値は、

それぞれの黄金値として目の縦横の比率は29対42、

鼻の高さは41~53ミリ、

唇の厚さは16~24ミリという結果が出たといいます。

目と口の距離は顔の長さの36%の時に一番美しく

両目の間隔は顔の幅の46%の時に一番美しいなんて数値もあります。



こういう記事も↓これだと四川省、上海市が美人の産地らしいですが・・。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0522&f=research_0522_...

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0424&f=research_0424_...

2005年の標準的な「中国美人」↓

http://garakuta.chips.jp/blog/archives/2005/10/19002315.php

↓これも読み物としては面白いです。納得不納得は個人の自由ですが・・。

http://semi.miyazaki-mu.ac.jp/stamiya/soturon/15shiiba/nishou.htm

↓これも参考程度に一読を・・。

http://yuki-wan.at.webry.info/200607/article_1.html







時代によって少しずつちがうようですが、

代表的なところでは「樹下美人図」にあるような

女性のことでしょうね。

日本の正倉院にも絵がありますが、下膨れで

全体的に豊満な感じの。



中国では美人の基準はとても厳しくで顔だけではなく

体全体について細かいチェックポイントがあったそうです。







孔明のお嫁さんの反対の容姿が美人とされたと思います。(会ったことはありませんが、ああいった嫁さんの選び方だけはしてはいけません。)







中国の唐美人と日本の平安美人は同じみたいですね。

莫高窟や皇帝陵の壁画にある美人画も同じようなものです。







どこでもそうですが、時代によって流行り廃りあります。

基本的な条件は、



・髪について。

漆のように黒く、量は雲のように多い。長くて光沢があり、よい香りがすること。

鬢(びん)は蝉の羽のように薄い鬢が良い。

この髪型は魏の文帝の時代の宮女が発明。



・髷について。

雲や霧のように高く結い上げるのが良い。



・眉について。

そり落として眉墨で描く。蛾の触角のように細長いのが蛾眉、

繊細に曲げるのが愁眉。



・目について。

大きくて黒いこと。流し目のコツは「美女は眉目の間にあり」とか。



・唇について。

血のように赤く、歯は陶器のように白い。



・指について。

白魚のように美しく、尖っていて細くて長いのが理想。

玉指、繊指ともいう。



ただ、春秋時代の初期ごろはあまり評価が高くなかったような…。



・腕について。

白く滑らかで凝脂のよう。柔らかく肉付きが良いこと。



・腰について。

細くてしなやか、肌は雪のように白いこと。

楊貴妃は牡丹や桜にたとえられ、趙飛燕は楊柳にたとえられたとか。



・足について。

纏足した小さな足で、それに合わせた小さな靴下を履く。

北宋に滅ぼされた、南唐からの流行。



・白粉について。

紅を差していますが、目の下の白粉だけ薄く拭って、

泣いた跡のような化粧法が流行。

ただし、不吉とも批判された。



・肌について。

香気があって、薫りが自然に発生していること。

西施は肌が薫りに満ちていて、彼女が沐浴した後の水は、

香水泉と呼ばれて、人々は争ってその水をもらい、

部屋に撒いたといいます。



確かこのような感じだったかと。







時代によって違う。

楊貴妃はデブだったそうだ。

時代が下った王昭君は痩せ型のすらりとした美人だったらしい。

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