戦国一の野心家といえば誰を思いつきましたか?
個人的に黒田如水です。あの男の野心は壮大すぎます。でも天下を取ることは不可能だと悟った後の如水の踏ん切りの良さは清々しいほどです。
松永久秀でしょう。織田信長は野心家というよりは革命家とか覇者というもう少し大きなイメージなので、
松永久秀を挙げます。
何故ならば--常に現状に甘んじる事なく虎視眈々と上を狙っている--からですね。
あの斉藤道三でさえ晩年は緩みを見せて嫡子に殺されます。
ところが久秀は67才で叛逆ですからね。しかも二度目。
もういい加減信長に巻かれて大人しく隠居して茶でもやってりゃいいのに・・・懲りずに叛いて爆死!
悪党のくせに嫌らしさがなく、むしろ爽やかさすらあって好きですね。
竹中半兵衛だと思います。
理由、天下に名を出すために仕えていた君主がいる岐阜城(当時、稲葉山城)を十数人で奪い取って、半年で君主に返したりしたすごい野心家だと思います。
宇喜多直家でしょうか。
黒田如水も有名ですが、少なくとも豊臣政権下では野心のそぶりも見せず、それでも秀吉に恐れられ隠居・・・といったエピソードなどから根っからの野心家ではない気がします(あくまでも個人的な意見ですが)。
直家の毒殺・闇討ちなど目的の為なら何でもありな姿勢が、野心家のダークな部分を存分に発揮していてパッと思い浮かびました。
藤堂高虎ではないでしょうか?はじめは近江の浅井長政の家臣として仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに参戦して武功を挙げましたが、浅井氏が織田信長によって滅ぼされると、浅井氏の旧臣だった阿閉貞征、次いで同じく浅井氏旧臣の磯野員昌の家臣として仕えました。
そして近江を去って、信長の甥・織田信澄の家臣として仕えるも長続きはしなかったのです。豊臣秀長に仕えて3,000石の所領を与えられることになります。そして、秀長のもとでは中国征伐、賤ヶ岳の戦いなどに従軍する。賤ヶ岳の戦いで抜群の戦功を挙げたため、2,000石を加増された。のちに秀吉から5,000石をさらに加増され、1万石の大名となります。
そして秀長が死去すると、養子の豊臣秀保に仕え、秀保の代理として翌年の文禄の役に出征している。そしてとうとう豊臣秀吉に仕えることになります。そして秀吉の死が近づくと今度は、徳川家康に急接近していきます。そして豊臣氏の家臣団が福島正則等の武断派、石田三成等の文治派に分裂すると、高虎は武断派の諸将に先んじて徳川家康側についたのです。
このように主君を何度も変えて戦国時代を生きた武将はそうそういないと思います。それだけの才能や時代を読む力があったのとつよい野心を持っていたからではないでしょうか?
秀吉かなぁ…。
あれだけの成り上がりですし、海外まで戦争ふっかけるし^^;
とんでもない野心でも持ってなければ、信長の部下も続けるのはしんどかった様にも思うし…。
革命児・織田信長! 戦国の世を治め、新しい日本を変革すべき、中世以来の旧体制を破壊、そして創造する行動力。その行動力は開明的性格と豪胆と緻密な計算の裏づけがあった。簒奪は普通将軍の位を奪うことなのだが、信長は帝位さえ奪うつもりだったのではと云われている。彼の最後は西洋のカエサル(シーザー)に類似している。当時ローマは君主を頂かない共和制を執っていたが、カエサルは君主に君臨し、君主制を敷く政治形態を執る野心を疑われ、側近中の側近ブルータスに暗殺される。信長も明智光秀という側近に、{簒奪(皇位を奪う)を疑われて・説}謀反を起こされ、横死。
今井宋久ですかね
あの時代の商人の野心は大名を超えている気がする
伊達政宗でしょうか。
彼は自身が台頭した頃には天下の情勢は収まりつつあり、
出生が遅れた事の劣等感にさいなまれ、やり残した感が凄いあったと思うので、
天下の野望と野心は人一倍強かったと思います。
江戸幕府が成立した後もイスパニアに使節団を送って親睦を深めようとしたり(援軍を要請するため)、
娘婿の松平忠輝を利用して謀反を仕掛けたりと本気で江戸幕府をどうにかして、
再度、天下の情勢を騒乱に巻き込もうと画策していた思います。
江戸幕府成立後に本気でこんな事を考えてたとして政宗にしてみました。
長宗我部家臣の久武親直が個人的には一番野心家で、かつ危険な思考の持ち主です。彼は長宗我部家で実権を握るために、恐ろしいほどの粛清をしています。
豊臣秀吉の九州征伐の戸次川の戦いで元親が寵愛していた嫡男の長宗我部信親が戦死し、精神的に参っていた元親に讒言をして、一門衆筆頭格のの元親の亡き弟吉良親貞の嫡子吉良親実を処刑させたのを皮切りとして、自身の障害となる同輩を次々と消していきました。 彼の讒言によって元親の子長宗我部盛親の代となったころには、長宗我部家の有力家臣の多くが処刑され、長宗我部家滅亡の一因を作ったと言われています。
そして、関ヶ原後に、家中で親徳川派であり、親交のあった藤堂高虎を介して長宗我部家を存続させようとした盛親の兄津野親忠を、彼が家中の実権を握るのが面白くないという理由だけで暗殺したことで長宗我部家改易が決定したのです。
そもそも、元親の信頼が厚かった親直の兄久武親信が元親に「弟を重用してはなりません。 もし重用したならば家は衰退・滅亡するでしょう。」なんて言われるくらいとんでもない人物で、処刑が大好きというかなり危険な人物です。
戦国一かどうかわかりませんが、まず最初に思い浮かんだのは、松永久秀 ですね。正確には、野心家の中で、一番インパクトあったとゆうか…。やはり、有名な三悪と、戦国の魔王・信長でさえ、隙を見せたら、何度も平気で裏切る所、そして茶釜と爆死が…。
一番優秀な野心家は、天下人を除けば、黒田如水、北条早雲、斎藤道三あたりですかね。
野心家かどうかは分からないけど
松永久秀です
歴史には東大寺大仏殿に火を放ったらしいです
さらに三好家で力をつけ裏切り
そして信長の家臣となり裏切りという
すごい人です
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