伊達政宗って何が凄くて有名な人なのですか?
ネットで検索しても「戦国一、頭が悪い大名」の内容しかヒットしません。
輝かしい戦歴は一つもありませんし。
伊達政宗の凄い所を教えてく
ださい。
彼が現在の人気に値する『大した人物』であることは間違いないと思います
彼の行動や思惑が当ったこともあれば、外れたこともあります
でも、東北に生まれて本気で天下を狙ったのは
長い歴史の中で後にも先にも彼1人です
それは何故でしょう?
東北人の真の敵は信長でも秀吉でも家康でもない
『冬将軍』だからです
遅い春を、短い夏を、駆け足でやって来る秋を
長くて厳しい冬を生き延びるために暮らします
そして迎える冬、
雪かき、雪下ろし、そしてまた下ろした雪の雪かき…、
東北に生きるものは毎年、敵と戦う前に冬と戦い我が身をすり減らします
寒さに身をすくめれば、自然と顔は下を向く
下を向けば反骨心は削がれ
中央の権威、権力に逆らえようはずもありません
アテルイの敗北以来、東北に住まう者はすっかり自信も自尊心も失ってしまいました
しかし、彼は違ったのです
婚姻関係も含めて内に篭りたがるこの地のシガラミを断ち切り
威風をもって領内の者を奮い立たせて権力者に堂々と渡り合い
隙あらば天下をと野心を燃やし
自らの存在を高らかにアピールしました
我々にとって異質でありながらもっとも求心力がある存在
精気が漲る彼に惹きつけられるのです
「今は耐えるので精一杯、けれど何時か見てろよ…。」
政宗の生き様に我が身を重ねる
それが東北人のガマン強さ、粘り強さに繋がっているのだと思います
ネットで検索しても「戦国一、頭が悪い大名」の内容しかヒットしません。???そちらの方が不思議ですね?
正宗の業績は文献も沢山ありますから、ネットで検索すれば色々出て来ますよ。
僕も伊達政宗が好きなわけじゃないんですけどこうやって伊達政宗を批判している人は
だいたい「僕歴史好きでなんでも知ってます・・」的な人が多いです。伊達政宗は関ヶ原の戦いで上杉景勝
や徳川家康と重大な駆け引きをしています。政宗を贔屓するわけじゃありませんが政宗を
馬鹿にしてる奴はもし自分が政宗だったらもう最上や南部ボコボコにされていると思いますよ
とゆうわけで政宗はすごいと思いますよ・・
実力に比して、過大評価が段違いで、評価されまくってるとこでしょうか?
戦国時代を生き残り「石高」が「外様」の中でNo3となりました。
1位 徳川家 400万石
2位 前田家 100万石
3位 島津家 80万石
4位 伊達家 60万石
このような好成績を残し、また行動が為に成るや
「片目」で見た目がユニークなど合わさり凄いとされています。
この成績で凄いと思えなければ
その人間の観察眼がおかしいです。
どの武将も だいたい、ご当地の観光の目玉に
なっており、そのてんでは伊達政宗も関係各県の
持ち上げ が相当あるので、それも あるのじゃ
ないでしょうか。
仙台には、伊達政宗 の素晴らしく立派な甲冑姿の
騎馬状態の銅像が、あります、去年の地震でも
壊れなかったそうで、あの像が、東北のヒトの
伊達政宗への崇拝を凝縮しているのではないかと
思います。ところで、東北といっても
伊達政宗の宿敵で伯父の最上義光の ご当地
山形県は、伊達政宗で、なしに
最上義光の素晴らしい甲冑姿の騎馬の銅像が
おったっています、そんなもんなんでしょうね。
まず 頭が悪かったは嘘です
立派な教養人であって その確かな記録も残ってます
頭が悪かった などと言うのは歴史に詳しくない方々が言うセリフですね 無視したほうがいいですよ
まず阿呆は周りに無能な者を置きます それは有能な者をおくと、自分の立場を危うくなると思い 遠ざけるためです(心理学で証明されてます)
上杉憲政などがそうでした 調べてみてください
それに比べて伊達家は片倉小十郎 伊達成実 鬼庭綱元 後藤信康など有能な武将が沢山います、これだけでも頭が悪かった訳ではないと分かります
戦歴については 初陣で相馬に勝利し、父輝宗の代に奪われた土地を一度に取り返しました
人取橋の戦いで佐竹、相馬、畠山、芦名連合軍に1/10の兵で挑み(それしか用意できなかった) 最後まで粘り 遠国である佐竹を撃退させ 佐竹の援軍としてやってきた芦名 相馬の大義名分をなくし撃退させ最後に畠山に攻め込み勝利するなど 采配にも長けてました
時代は変わりますが大阪冬の陣 あの真田幸村と唯一対等に戦ったのが伊達軍でした
仙台藩の政治についても 北条家の政治を見習い 石高は一時100万(当時としてはもの凄いですよ)を越えたと言われます
まぁ確かに 美化されすぎな所もありますが けして阿呆ではなく 有能な武将であったことは間違いありません
確か若い時分20代前半で奥州一の大大名になったというのが凄い戦歴だと思います。
石高で言えば一時だけど100万石をはるかに超えてたんじゃなかったですかね、200万国ぐらいだったかな?
あの今川義元でも織田と闘う時にやっと100万石前後だったと思いますのでそれはそれで大したもんだと思います。
政宗以前植宗時代には鎌倉時代からの名家であり、積極的な政略結婚を推進したことも重なって、それなりに奥州の盟主的存在だったようですが植宗・晴宗時代のいざこざで相当国力を疲弊してた間に蘆名氏が台頭し、その背後には佐竹氏がいましたので非常に厳しい状況にありました。
そんな中を大石氏や畠山氏、蘆名氏等々次々と破って20代前半で奥州の覇者と言われていたのは凄いと思います。
まあそれと仙台市の整備等を考えるに行政能力も大したもんだと思います。
あと普通にやってれば100万石をゆうに超えていただろうに色々と欲にかられてあわよくば天下をなんて考えていたので領地拡大を許されませんでしたが泰平の世になって開き直って国力増強を図り、裏石高で100万石を達成していたところはさすがだと思いますよ。
まあ私もあんまり詳しくないんですがこういったところでしょうか?
伊達政宗のすごいところは、「世渡りがうまかった」です。
僕も以前はアンチ伊達政宗でしたが、後からだんだんと好きになってきました。
仙台をあれだけの町に発展させて、外様ながらも幕府から改易にされることなく守り抜いた処世術、これですかね。
あと、ビジュアル的なセンスの良さですかね。あの甲冑は戦国一伊達です。
伊達政宗の実績は全然大したことはありません。
後に仙台が発展したことで持ち上げられたに過ぎないのです。
凄いところと言えば、何もしていないのに有名になったことくらいでしょうか。
能や茶道等を嗜んでおり、千利休にお点前が武士らしく堂々としていてすばらしいと褒められたことがあります。
これ、いちおう質問は「伊達政宗はなぜ有名なのか?(実績に比べて)」という質問でしょう?
ならば、伊達政宗の悪口をいくら書いても解答にならないと思いますけど。
伊達政宗がどうしてメジャーか。仙台伊達家が大領主として幕末まで続いたからです。戦国大名の価値は「輝かしい戦歴」なんかにはありません。いくら途中で得点稼いでも最後にゼロになったら、大名としては失格です。戦歴なんかカスです。
どんな手を使っても家を残す、それが戦国大名の評価ポイントです。その意味で、伊達政宗ほど凄い戦国大名はいません。「あれだけの戦歴」なのに「あれだけの領地」を守ったのですから。
結局は地方区の戦国大名で凄いところ何もありません。逆に言えば周りに大した強敵も居なかったと言うべきですね。強いて言えば幕末まで生き延びた戦国大名の一つですが、薩摩の島津氏に較べても知名度は遥かに格下です。
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