戦国大名の中で一番すごいのは?
①~⑤は大名というより、部下の能力も込みで、どの勢力が強いかです。
①戦略
②実戦
③謀略
④内政
⑤外交
⑥部下
⑦運
⑧総合
何年くらいの何家とか書い手いただけるとありがたいです。
①戦略
真田家3代。幸隆、昌幸、幸村。1548~1615くらい。
有名な戦:戸石城攻略、上田合戦、大坂の陣
正確には昌幸だけ戦国大名。幸隆、幸村は戦国武将。
②実戦
織田信長(1534~1582)
最も領地を拡大したのが誰でもわかる。実際には負け戦も多いが負け戦をしたことのない戦国大名なんていないため、実績では1番有名。
家来団も優秀な人材が多く、柴田勝家、丹羽永秀、前田利家、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀などなど多くの有能な武将がいる。
③謀略
毛利元就(1497~1571)
戦国一の謀将として有名。小国の大名でありながら周りの大国の大内氏や尼子氏を謀略によって滅ぼす。有名な戦いが厳島の戦い。約4000人の勢で陶晴賢の約30000の軍勢を知略をもって退ける。
④内政
徳川家康(1543~1616)
小牧長久手の戦いの後元々の領地であった三河から関東に所領が変わる。そのときに関東平野の広さに一目を置き、内政によって今の東京の基礎を築いた。
⑤外交
大友宗麟(1530~1587)
南蛮貿易を通じて外国の文化を多く取り入れていた。文化だけでなく、食糧、武器、また医療体制にも力を入れていたと言われている。また天正遣欧少年使節団として伊東マンショをローマに送ったことも有名。国崩し(大砲)を初めて使ったこととしても有名。
⑥部下
武田信玄(1521~1573)
武田四名臣や武田二十四将などで有名な家来団に恵まれていた。また「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と言って城をあまり持たなかったとされている。
⑦運
豊臣秀吉(1537~1598)
農民出身から天下を取った人間なんてこいつくらいしかいない。運が良すぎた人間。生まれた場所、時代、家来、全てに恵まれていた。特に本能寺の変のタイミングはあまりに良すぎているため、黒幕が秀吉であるという説まで生まれるほどである。
⑧総合
徳川家康(1543~1616)
江戸幕府を開いた人物。上にあった①~⑦の項目をすべて平均的に兼ね備えていると言える。
誤りがあるかもしれませんが、以上が私なりの考えです。
年号ではなく主君を書かせていただきます。
①北条家(北条早雲~北条氏康)
北条氏綱が関東で生き残るために伊勢姓を捨て、北条姓に改めたのは有名な話。
川越夜戦では氏綱の娘婿、北条綱成とその弟、福島綱房が上杉、足利などの連合の65000の軍勢に対し、10000足らずの軍勢で勝利したこともまたしかり。
②織田家(織田信長)
楽市楽座を行ったこと。
デメリットに目が行きそうなものだが、これを行うことによって尾張の国が発展し資金力を得た。
鉄砲三段撃ちを始めとする奇策も考え出した。
織田家の将、柴田勝家は篭城戦で兵糧が尽きたとき、水瓶を割り背水の陣を作り出すことで見事その戦に勝利した。
③三好家(三好長慶~三人衆・松永久秀)
長慶の幕府の影となり実権を握ったり、
弟たちに分国を支配させ国人をまとめあげ、畿内・四国合わせて九国を支配した。
長慶の死後、三好三人衆や松永久秀は剣豪将軍13代足利義輝を謀殺した。(生前、長慶はこのことに反対した)
④長宗我部家(長宗我部元親)
「長宗我部元親100ヶ条」を定めたこと。
最も良い国の要素の一つは孫子曰く、考えることを止めない国である。
また、良い国というのは法がよく定められたものであるそうだ。
100条も定められた分国法は他に無い。
⑤上杉家(上杉謙信)
上杉憲政から関東管領の座を譲られ、足利義輝のお墨付きをもらった上杉謙信は近隣諸国に軍を招集した。
結果、集まった軍は65000、この後、起こったのが前述の川越夜戦である。
また、仇敵武田に塩を送るなども有名な話である。
⑥武田家(武田信虎~武田信玄)
武田二十四将(武田信玄含む、猛将・真田信繁など)に馬場信春、内藤昌豊、春日虎綱(武田二十四将)、山県昌景(武田二十四将)の武田四天王、軍師・山本勘助(武田二十四将)、信虎の時代から原虎胤などの優秀な武将に恵まれた。
⑦織田家(織田信長)
桶狭間の戦いで今川軍が桶狭間の本陣を置いたこと、今川軍が本陣に5000しか兵を置かなかったこと、奇襲時に雨が降ったこと。
更に、柴田勝家、丹羽長秀、佐々成政、前田利家、前田慶次郎利益、明智光秀、池田恒興、羽柴秀吉、森可成、森蘭丸など良い将に恵まれたこと。
徳川家康が父の計略で織田の人質となっていたことなど、織田が天下勢力となることができた様々な要因があった。
環境に恵まれていたことこそ、織田信長の天運であり、織田が天下をほぼ掌握を成し得た礎である。
⑧上杉家(上杉謙信)
軍神として名を馳せた上杉謙信は宇佐美定満、直江兼続、柿崎景家など将にも恵まれ、関東管領という地位にもあり、内政・外政ともに優れており、天運にも恵まれた。
しかし、義を重んじ謀略をほとんど行わず、何度も出奔騒ぎを起こしたのがマイナスポイントである。
織田家(織田信長)
前述の通り、戦略、実践、謀略、内政、部下、運の全てに優れていました。
外政でも、武田信玄に対して、第六天魔王と名乗るなど、強気の姿勢で行うが、強行的過ぎるためマイナスと指せていただいた。
1 戦略 織田家(1570~1580年代まで)方面軍を作り侵略の幅を広めていた
2 実戦 織田家(1570後半~本能寺まで)長篠の戦いによる鉄砲導入・中国方面軍秀吉の城攻めなど
3 謀略 毛利家(1540~1560年代まで)吉川・小早川の乗っ取り・厳島の合戦・尼子家への調略など
4 内政 徳川家(1600~)江戸幕府の基盤確立など
5 外交 足利家(1560後半~1570後半まで)信長包囲網を呼びかけ織田家を苦しめた
6 部下 豊臣家(1580後半~1599)四国討伐・九州討伐・関東討伐・奥州仕置によりほぼ全大名が臣従した
7 運 徳川家(1590~)豊臣秀吉・小早川隆景・前田利家と豊臣を支えた名将が病没し本格的に天下統一に乗り出した
8 総合 織田家 鉄砲・方面軍・楽市楽座などほぼ最新なものを導入しそれを実戦に活かした。
僕的にはこんな感じだと思います。
適当に
①戦略
1590豊臣家(小田原攻め)
②実戦
1600島津家(関ヶ原中央突破)
③謀略
1570~90宇喜多家(暗殺・謀)
④内政
1600~20徳川家(幕府成立初期)
⑤外交
1600~20徳川家(幕府成立初期)
⑥部下
1590豊臣家(ほぼ全国の大名が勢力下)
⑦運
1590豊臣家(一代で出世)
⑧総合
1600~20徳川家(織田がつき、羽柴がこねし天下餅。座りしままに食うは徳川)
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