戦国武将について
みなさんのお力をお借りしたいと思い、ご質問致します。
戦国武将で、この人といえばこれ!!という特徴を教えて頂きたいです。
例えば、真田幸村であれば【六文銭】。伊達正宗であれば【独眼竜】。
雑賀孫市であれば【ヤサガラス】←漢字が分かりません・・・などなど。
異名というわけでもないし、特徴で調べても見つからなくて・・・
調べようがなく困っています。
皆様、お力をお貸し頂けると助かります。
たくさんの戦国武将の特徴?を教えて頂きたいです
宜しくお願いします
「鬼将軍」「肥後の虎」加藤清正
「鬼道雪」立花道雪
「鬼小島」小島弥太郎一忠
「鬼武蔵」森長可・新納忠元
「鬼石曼子」島津義弘
「鬼義重」「坂東太郎」佐竹義重
「鬼真壁」真壁氏幹
「鬼の半蔵」服部半蔵
「鬼玄蕃」佐久間盛政
「退き佐久間」佐久間信盛
「鬼美濃」原虎胤
「鬼虎」小幡虎盛
「鬼十河」十河一存
「鬼柴田」「甕割り柴田」「かかれ柴田」柴田勝家
「鬼五郎左」「米五郎左」丹羽長秀
「赤鬼」赤井直正
「青鬼」籾井教業
「井伊の赤鬼」「赤備え」井伊直政
「鬼の小十郎」片倉重長
「鬼作左」本多重次
「独眼龍」「大崎少将」伊達政宗
「甲山の猛虎」飯富虎昌
「武田の猛牛」秋山信友
「相模の虎」北条氏康
「猿」「はげ鼠」「木綿羽柴」豊臣秀吉
「大和宰相」豊臣秀長
「殺生関白」豊臣秀次
「犬」「槍の又左」前田利家
「肥前の熊」龍造寺隆信
「野の虎」長宗我部国親
「鳥なき島の蝙蝠」「土佐の出来人」「姫若子」「鬼若子」長宗我部元親
「八咫烏(ヤタガラス)」雑賀孫一
「津軽の梟雄」「髭殿」津軽為信
「槍の半蔵」渡辺守綱
「槍の勘兵衛」渡辺勘兵衛
「槍弾正」保科正俊
「槍大膳」正木時茂
「血槍九郎」長坂信政
「貧乏姫」足利氏姫
「美濃の蝮(マムシ)」斎藤道三
「尾張の大うつけ」 「第六天魔王」織田信長
「きんかん頭」明智光秀
「攻め弾正」真田幸隆
「逃げ弾正」高坂昌信
「笹の才蔵」「槍の才蔵」可児才蔵
「表裏比興の者」「六文銭」「食わせ者」真田昌幸
「日本一の兵」真田信繁(幸村)
「名人久太郎」堀秀政
「剣豪将軍」足利義輝
「貧乏公方」足利義昭
「風流の利発人」蒲生氏郷
「軍神」「毘沙門天」「越後の龍」上杉謙信
「海道一の弓取り」今川義元
「東海一の弓取り」「狸親父」徳川家康
「仏の茂助」堀尾吉晴
「地黄八幡」北条綱成
「黒衣の宰相」南光坊天海
「夜叉九郎」戸沢盛安
「闇の仕置人」屋代景頼
「西国大将」「姫路宰相」池田輝政
「鎮西第一」立花宗茂
「海賊大名」九鬼嘉隆
「足長坊主」「甲斐の虎」「古狸」武田信玄
「徳川の知恵袋」本多正信
「天下の総代官」大久保長安
「出羽の驍将」「鮭様」「出羽少将」最上義光
「乱世の梟雄」「弾正」松永久秀
「北の巨人」南部晴政
「知恵伊豆」志村光安
「乞食大名」鮭延秀綱
斎藤道三(まむし)
織田信秀(戦きちがい)今川義元(東海の弓取り)
伊達政宗(独眼竜、仙道の覇者)
松永久秀(将軍殺し)
政宗『独眼竜、奥州筆頭』 三成『へいくわい者、大一大万大吉』
慶次『かぶ寄者、風来坊、もののふ、しんがり』 義元『海道一の弓取り』
謙信『越後の龍、毘沙門天』 信長『うつけも者』
小十朗『竜の右目』 官兵衛、半兵衛『二兵衛』
幸村『日本一のつわもの』 勝家『鬼柴田』
義弘『鬼島津』 信玄『甲斐の虎』
元親『土佐の出来人、西海の鬼』 家康『狸じじい』
秀吉『猿』 兼続『直江状、愛の兜』
忠勝、半蔵『家康過ぎたるもの』 利家『犬、槍の又左』
元就『3本の矢』 氏康『相模の獅子』
左近『鬼左近』
雑賀はヤタガラス(三本足で神武天皇を手引きしたカラス)少年サンデーで漫画が連載中。
正宗は刀工の名前(名刀正宗)少年サンデーで伊達正宗というキャラはいますが。
堀秀政は名人久太郎。織田家の有力な若手武将だったが秀吉にとっての有力武将になった。けど比較的若死に。
豊臣秀長は大和大納言、大和宰相。秀吉の弟。
武田信繁は典厩(てんきゅう)真(マコト)の名将とも。信玄の弟。
北条綱成は地黄八幡。ホントは北条家の者ではない。
池田輝政は姫路宰相、西国将軍とも。姫路城。
高坂昌信は逃げ弾正。武田信玄が見いだした武将。男色の相手でもある。甲陽軍鑑。
黒田官兵衛は如水の号で有名だが、荒木村重謀反の時長期間入牢し足を悪くしたため跛(ちんば)と呼ばれることも。現在これはは差別的用語になっているかもしれないので使わない方がいいです。
真田昌幸は信玄公に「わしの両目の如し」と言わしめ、小信玄の異名があり、秀吉からは表裏比興の者と呼ばれる。
稲垣長茂は家康の家来で大名になるが長い髭だったため家康から「ナガヒゲ」と呼ばれる。
加藤清正(幼名虎之助)は南妙法蓮華教の旗印。主計頭(かずえのかみ)に任じられていた。虎は銃で退治したらしい。
津田信澄は信長が殺した弟信勝の子だが信長はこれに津田を名乗らせ明智光秀の娘婿にした。一段の逸物と呼ばれ有力武将になるも本能寺の変で明智側につくのではないかと疑われ殺される。
徳川家康の祖父松平清康は武勇抜群で長生きしていれば今川義元、織田信秀と互角に渡り合ったかもしれないが、家臣に誤解され殺されてしまう。これを世に森山崩れという。
ここらでやめておきます。それぞれの年代がばらばらでごめんなさい。
毛利元就→三本の矢(1本の矢は折れ易いが3本束にすると折れにくい、と言う3人の息子に結束することを説いた教訓)
加藤清正→虎退治(朝鮮出兵時、虎を退治したという勇ましい逸話)
豊臣秀吉→はげねずみ(秀吉の妻ねねが浮気者の秀吉を叱って欲しいと織田信長に手紙を出し、それに返答した手紙に書かれた秀吉のあだ名)
斉藤道三→美濃のまむし(美濃で下克上によりのし上った道三の異名)
武田信玄→甲斐の虎
武田信玄→【風林火山】、上杉謙信→【毘沙門天】
織田信長→【第六天魔王】、豊臣秀吉→【人たらし】【猿】
毛利元就→【百万一心】、徳川家康→【健康オタク】【葵の紋】
宇喜田秀家→【八丈島】、島津義弘→【島津の退き口】
島津豊久→【捨て奸(すてがまり)】、石田三成→【大一大万大吉】
直江兼続→【愛(兜の前立て)】【直江状】、吉川広家→【宰相殿の空弁当】
パッと思いついた武将だけですが。
時代も場所もバラバラです。
実は室町時代「8代将軍」から始まっていてできるだけ味方にしよう・仕えさせようとするのを競う時代です。上杉謙信・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が活躍しました。なお、信長・秀吉・家康は、安土桃山に活躍しました。家康の三男の秀忠「1579~1632」は戦国時代の武将ですが、まだ若いので戦えませんでした。
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