本能寺の変で織田信忠さえ京都から脱出できれば、織田信長を討ち果たされても、織田家の勝利といえますか?
信忠は何処から何処を目指して目指せば脱出出来ましたか?
もし脱出成功した場合、織田信忠による日本統一は出来たでしょうか?
羽柴家、徳川家は一大名として終わりますか?
信忠の天下統一は可能でしょう。
まず信忠が脱出するルートですが、大まかに三つあります。
①東の勢田川を越え、唐橋を落とす。唐橋さえ落とせば2~3日の猶予が出来るので、その間に岐阜の軍勢を安土へ呼び寄せ、織田全軍に光秀討伐を下知する。本能寺は信忠の泊まっていた妙覚寺より南にあるので、京の奪取は可能と思われる。但し、坂本城の存在が気になるところ。
②大阪への脱出。大坂には異母弟・信孝の1万数千がいるし、池田恒興など摂津衆を掻き集めれば2万にはなる。京さえ脱出すれば大坂行きは比較的安全だが、信孝軍は信孝が逸った所為で、兵士は15~60歳というはば広い年齢層から成り立っており、光秀軍と戦えば負ける可能性が高い。ただ秀吉軍の来着を待てば、勝ちは揺るがないだろう。
③京都御所へ逃げる。妙覚寺から御所は北にあるので移動は可能と思われる。そして御所に逃げ込んでしまえば光秀は手が出せない。家臣への命令は武家伝奏を使うことで可能となり、結果的に秀吉が光秀を討つ事になるでしょう。しかし、朝廷が変事の黒幕であった場合は命の危険性がある。
このように危険はあるものの脱出は可能です。そして脱出すれば光秀に勝利はないでしょう。そして、その後の信忠の天下統一は可能と考えます。何故なら...
・信忠領は濃尾と信長の遺領を加えて150~200万石と家中一。
・柴田勝家は信忠に従う。
・丹羽長秀や堀秀政、池田恒興も信忠に従う。
・信雄と信孝は信忠が健在なら仲違いしない。
・三兄弟が結束すれば、他社が担ぐ織田一門はいなくなる。
・秀吉に功があっても一カ国増が限度。
・信長の死に伴い、信忠は昇進(大納言あたりに)
また私が注目するのは松姫(信玄五女)の存在です。信忠は26歳にもなって正室がいないという珍しい武将です。一説には元婚約者であった松姫に迎えの使者を送ったとされていますので、恐らくは松姫を正室に迎えるはずだったと考えて間違いないと思います。そして松姫が正室となれば、甲信は織田領に回復されるでしょう。
信忠が脱出したとしても、甲信は荒れるはずです。しかし、信忠と松姫の祝言が行われれば、武田の遺臣は信忠に従うはずです。(信玄も諏訪家を滅ぼし、娘を娶って諏訪家臣を従えた)そして甲信が落ち着けば、手を伸ばしていた徳川も抑えている領地を織田へ返すしかありません。
となると、摂津より東は全て信忠が抑えることとなり、総兵力15万、総石高500万石は軽く超えます。秀吉に天下への野心があっても対抗は不可能でしょう。黙って従うしかありません。
また天下統一までの期間ですが、私は信長がやるより信忠の方が早いと思います。何故なら、信長は宇喜多を秀吉が降伏させたとき、領地安堵したことを叱責しています。その結果、秀吉は毛利降伏には領地割譲を条件とし、交渉していました。また信長は長宗我部にも領地割譲を通告しています。
このような晩年の信長は、降伏の条件に領地割譲を求めていたことが考えられます。故に領地割譲に従いそうにない長宗我部、島津(+龍造寺の可能性も)、北条とは少なからず戦になると予測しています。戦になれば、長引くことでしょう。しかし、信忠の場合はそこまで苛烈な要求はしないと思われ、従うなら許したでしょう。
さらに家臣の結束も、信長時代より信忠時代の方が固いと思います。何故なら信長は功臣である佐久間や林を追放しており、家臣の間ではいつ自分の番になるか怯えていたことでしょう。しかし、信忠ならそんなことはありません。故に家臣としては信忠の方が遥かに仕え易い主君だったはずです。
これらにより敵を無闇に作らない信忠の方が天下統一は圧倒的に早いのでは?と私は考えています。また羽柴は当然ながら徳川も晩年は織田から駿河一国を拝領していますので、もはや家臣化したも同然です。(対等な同盟者なら恩賞にはならない)さらに上記に列記した如く、反抗しても絶対的に信忠有利であり勝ち目がないので、両者とも一大名として終わるしかありません。
※信長は生前に信忠を将軍職に推していたとされています。これが真実であれば、何処かの段階で信忠は将軍となり、天下統一に拍車が掛かるのは間違いありません。
[補足回答]
私が思うに、信忠は当時の戦国武将の感覚とそれほどかけ離れた思考の持ち主ではない、と思います。よって天下構想は幕府による統治であると考えます。ただ何を望んだか?というものはないと思います。何故なら天下をどう統治していくか、ということは信長が考えることであり、信忠が口を挟めることではないからです。故に信忠は天下がどうのこうのより、信長(つまり父親)の考えを読むことをに徹していたと予測します。
あのとうじ表向き織田信長は隠居を公言していて後継は
織田信忠であると大々的に示していました、もちろん
いまのロシアのプーチン首相のように実効支配能力は
健在だった織田信長ですが
明智光秀は謀反を企てた直後から絶対に信長と後継者は
討たねば謀反は失敗、信長だけ討つことはヘマと思っていた
はずで、あのように完璧に謀反をして討つ標的をキッチリ
排除したので、もしも織田信忠が生き延びたら
明智光秀は絶望のあまり謀反を放棄して
自害したかもしれません。謀反そのものが自殺行為だから
自害のタイミングが遅れようが一緒でしょう。
織田信忠が織田家の跡継ぎを続けていたら、全国統一は
ちょっと遅れるのではないでしょうか、織田信長は
急ぎ過ぎて同時侵攻作戦を乱発し過ぎた為、明智光秀に
謀反されて討たれましたが、堅実にやっていくと
時間が掛かるでしょうから。だいいち羽柴秀吉は織田信長が
生前はセッカチな主君に、こづき回されてセカされて
大働きをしたので、二代目の主君が温厚で堅実なひとだと
あそこまで大立ち回りしないでしょうから
>本能寺の変で織田信忠さえ京都から脱出できれば、織田信長を討ち果たされても、織田家の勝利といえますか?
こういったことは勝ち負けの次元ではないと思いますが・・・。
確かに、織田政権の存続上、信長と信忠の両者の死は致命的だと思います。
片方でも生き残っていたら、織田家並びに織田政権として勝利と呼べるのではないでしょうか。
無論、信長が死んでも信忠さえ生き残れば、織田政権の存続の可能性は高いと言えます。
その根拠として
①既に織田家の家督を相続していて、羽柴や柴田といった方面軍の監督権は持っていないものの濃尾方面の織田家本隊の軍団の指揮権を委ねられていたこと
②滝川一益・森長可・河尻秀隆らの武将を隷下とした対武田戦で武功を挙げて、家臣の信頼を得ていたこと
③従三位・近衛中将兼秋田城介という織田一族並びに他の家臣に比しても破格の官位を有し、後継者としての地位が保証されていたこと
が挙げられます。
>信忠は何処から何処を目指して目指せば脱出出来ましたか?
明智軍の包囲は完全に本能寺の信長に向いていたらしく、本能寺が焼け落ちてから信忠の妙覚寺の攻撃に向かったように、信忠への対策は結構ザルだったようです(信忠は妙覚時から二条御所に移ってしまったことが致命的でした・・・)前田玄以など逃げおおせた者も多かったようです。
逃げるなら、さすがに北の丹波は明智の領地であり得ない、南の大和は明智の与力大名の筒井順慶の領地なので、とっさに逃亡するなら東の近江方面か西の大坂方面がだと思います。
しかし、京と近江の境には明智の本城である坂本城があるので、近江方面もやや危険かと思います。
最も安全に逃げるなら、西の大坂方面でしょう。そこには四国攻め出発直前の弟・信孝や丹羽長秀らの軍団がいるので、すぐに織田軍を糾合し、明智光秀を討つことが可能になるからです。従兄弟で光秀の婿である津田信澄を謀殺した信孝もさすがに丸腰とはいえ兄は殺さないでしょう。
>もし脱出成功した場合、織田信忠による日本統一は出来たでしょうか?
大坂で信孝の軍勢と合流し、更に中国から返してくる羽柴軍を合わせれば、史実の山崎合戦の如く明智は粉砕されることでしょう。一応、仮定の話ではありますが・・・。
そして、その仮定の仮定の条件下においての信忠の統一事業の進行の速さはと言うと・・・ズバリ時間の問題かとおもいます。むしろ、信長死後の織田家内の内紛(=羽柴秀吉と柴田勝家の対立)がなくなり、またその間隙を突いて家康が甲信を併呑することも無くなるので、織田家と徳川家のパワーバランスは隔絶したままだと思うので、その後の家康の天下も無いかと思います。
>羽柴家、徳川家は一大名として終わりますか?
上記の通りです。徳川家が一大名に甘んじるかは家康のさじ加減だとは思いますが・・・。
ちなみに私は本能寺の変に黒幕の存在など無いとする立場なので、秀吉も信忠なら従わざるを得ないと思います。
織田信忠が助かってたら織田家は信忠でまとまって家康は織田家の同盟相手として秀吉は織田家の家来で終わってたと思う。
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