2012年5月8日火曜日

金ヶ崎で信長、秀吉、家康が討死したら誰が天下人になりますか?

金ヶ崎で信長、秀吉、家康が討死したら誰が天下人になりますか?







順当に行って朝倉義景でしょう。



三人が越前で死ぬということは、朝倉軍がそのまま入京する可能性が強いです。となれば、武力を持たない幕府(つまり足利義昭)は再び朝倉義景の庇護下に入るわけで、浅井<朝倉の関係から天下人は義景になるでしょう。ここで三好三人衆が巻き返しを図ることは考えられますが、義昭自身が兄・義輝の仇である三好より朝倉を頼りにするはずです。



義景は傀儡管領に細川昭元を就け、自らは管領代に就任、長政は相伴衆あたりでしょうか?つまりかつての大内義興政権のようなものが出来上がるわけです。この時代、天下=幕府、天下人=幕府の最高権力者ですから、天下人は朝倉義景です。



※ちなみに朝廷は、信長が幕府権威の代わりに頼ったことで、その権威を回復させています。よって幕府が京に存在している限り、その力は無視しても構わない程度に小さいものでしょう。



ただ稀代の当主・信長&家康が滅んだとなれば、その遺領の争奪戦が始まります。



南近江は伊賀に潜伏していた六角の勢力が復活し、一部は浅井領となる。伊勢は北畠具教が茶筅(織田信雄)を殺し、復活。美濃は東西から浅井と武田の草刈場となり、尾張一国は奇妙丸(織田信忠)を跡継ぎに織田の遺臣が頑強に抵抗、三河も同じ。ただ遠江は武田に席巻される。



ま、概ねこのようなところでしょうか?後は朝倉義景が政権をどれほど維持出来るかです。



義景に課せられる命令は二つ。兄の仇である三好の討伐と織田家を滅ぼすこと。しかし、朝倉家の兵力では京の維持で手一杯であり、尾張へ向かうことは出来ないでしょう。北畠や六角も織田残党が自国内に存在するだろうから、兵を外へ向けるのは困難。すると、織田征伐は信玄に委ねることになります。ただ信玄の寿命は迫っており、恐らくは織田家滅亡一歩手前で寿命が来ると予測します。織田と徳川の家臣は優秀なのが多いので、あっさり負けることはないと思います。(信玄が死ねば、織田&徳川は一時的に巻き返す)



そして、この後ですが、家中での義景の横暴さを考えると、恐らく義昭と義景の対立が始まるはずです。つまり朝倉包囲網が密かに形成されます。信長の器量を以ってしてようやく包囲網は破れたわけで、義景程度では政権維持は不可能でしょう。また包囲網形成で織田の力を再び欲した義昭によって信忠は赦免され、信忠×松姫婚姻復活で武田と和睦、滅亡を免れるでしょう。(史実で三好を許した義昭なら、義景と敵対した今、信長亡き織田家を味方に引き入れても不思議はない)よって包囲網は着実に輪を狭め、信長討死から義景が政権維持できるのは、3~5年と予測します。その後は、一時的に三好となり、そして上杉か毛利の後、謙信が死ねば毛利独裁になるでしょう。流石に将軍から頼られれば、毛利元就の遺訓もあったものではないはずです。(事実、輝元自身に野心はある)尚、武田勝頼にも可能性があると思います。



よって最初の天下人に朝倉義景、その後は毛利輝元と考えます。但し天下統一の気配はまったく見られず、戦国時代がもう50~100年は続いたことになったのではないでしょうか?








武田信玄が一歩リードだと思います。

国力、人材ともに申し分ないですし。

西上作戦を開始して混乱する徳川、織田家を併呑し、天下に号令をかけると思います。

武田家は源氏の流れを汲む名門ですから、征夷大将軍に就任し武田幕府が開かれるかも。







南蛮諸国の属国になる可能性が高いです。



信玄あたりが義昭を担いで中央に力を持つかもしれませんが、それは三好長慶が幕府を牛耳ったくらいの事にしかならず、各地での戦乱は収まらず、本願寺は諸国に治外法権をつくり、とにかくバラバラな状態が続くでしょう。



3大英雄が揃って滅ばずとも、信長一人が滅びただけでこの状態になった筈です。もう少し後ならともかく、この時期の秀吉、家康に天下国家のビジョンはありません。



戦国時代は誰もが天下統一を志していた時代に思われがちですが、実際に国家の統一をイメージしていたのは織田信長一人です。

三好、今川、武田などは京都で幕府の実権を掌握しようとしたに過ぎません。

そのことと天下統一は違います。



信長が統一を急いだ理由の一つは、諸外国からの侵略を防ぐには強力な統一国家が必要と考えたからです。



よってその信長が金ヶ崎の段階で滅んだとすれば、国内に信長に継ぐ者がおらず、内乱の果て南蛮の属国になっていた可能性が高いのではないでしょうか。







北条が膨張していって

天下を取る気がします







一応台頭者を潰したので足利義昭=室町幕府の天下が長引くのでは無いかと思います。

それ以降は可能性がありすぎてなんともいえませんが、史実より分権的な社会が成立していたと思います。







実力№1は本願寺ではないでしょうか。日本を宗教国家に塗り替えたかもしれません。仏敵信長のいない状況でモチベーションが続いたか、いまいち自信はありませんが。







どう考えも、戦国時代がずぶずぶのままの状態で推移するとしかいえないな。

下手するとスペインやポルトガルの植民地になっていたかもしれない。







足利幕府再興が一番有力でしょうね。



まず、毛利と上杉は天下を目指さないどちらかといえば

幕府に要職を与えられたら気持ち的には十分でしょう。



島津の前には、毛利がいてるし。長宗我部は本州に対して

兵力が貧弱すぎる。

機内には、天下を狙えるほどの国力を持った大名が居ないし。



武田、北条はお互いに敵が多く、伊達は戦国の中では上洛は

無理でしょう。



もしかしたら・・・・蒲生氏郷か島左近







毛利・・・・力はあるが、年。島津・・・・遠い九州統一が精一杯。長宗我部・・・・水軍なら強いかも。伊達・・・・政宗若いし、ちょっと遠い。武田勝頼・・・・子、信勝が優秀らしいから、もしかしたら武田氏が強いかも、織田、徳川の領土丸々取って、上杉、北条と講和。上洛。敵は浅井、朝倉で。







天下を掌握する野望に燃える武将たちは他にも多数存在していた筈ですし、別の武将達が戦国時代の主役に躍り出るだけの事であると思いますよ。

全国的には多数ギラギラしている野望を抱き、しかも戦にも滅法強かった様な武将達が数名存在していた筈です。

伊達政宗とかにしてみれば、戦国時代の主役達よりも20才位年代的に若かった有力武将だったのですから「好機到来」と捉える事でしょう。







その時は足利義昭が室町幕府を再興します。

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