結局、豊臣秀吉と徳川家康はどちらが性格が悪いのですか?
戦国のドラマなど見ると、分からなくなります。
秀吉が主人公の話しだと、徳川家康は陰湿で本当に嫌な人物に描かれます。
一方、家康が主人公の時は、秀吉は能無しのくせに傲慢で理不尽で最低な男に描かれています。
実際どちらが真実なのでしょうか?
やっぱり家康の方が優れていたからこそ、江戸幕府ができたのでしょか?
これは当然ですが見る立場によって全く正反対になります。
ナポレオンはご存知ですよね?
英雄として知られるナポレオンですが、一方で、「食人鬼」「人命の浪費者」「コルシカの悪魔」と酷評されています。
味方にとっては英雄ですが、敵にとっては単なる悪魔です。
当然の評価です。
(評価については実際の所、敵味方よりもうちょっと複雑ですがw)
で、まあ私の評価ですが・・・。
秀吉は、自身が頂点に立つまではいい奴でした。
おそらくは、すべての責任を負う重責、思いのままになる権力、そしてあまたの駆け引きが秀吉を変貌して行ったのだと思います。
正直晩年の秀吉は好きになれませんね、権力を得てたがが外れ、耄碌した感じです。
家康については・・・。
尾張長久手の戦いまでは、普通のちょっとした有力大名くらいの感じでした、まあ、本能寺の変後から怪しい動きはしていましたが・・。
この、尾張長久手の戦いで、軍事的には一歩リードしたものの、戦で結果を出す前に、秀吉に裏工作で戦の意味ごとひっくり返されてしまったところから学習し変貌して行ったように思われます。
これ以降の家康の戦は、純軍事的な物より自国の軍事力を利用した圧力外交と裏工作に終始するようになります。
ここらのやり口と、強引な理由づけによる開戦の口実付けや、有力大名の取りつぶし又は衰退工作などが家康の悪くいわれるところでしょう。
フェアじゃないと。
一つ言える事は、本能寺の変時点で、秀吉、家康以外にも同程度の力(国力)を持った勢力は多数ありましたが、それらを従え天下人になっています。
無能どころか並はずれた能力があってのことです。
戦国ドラマで家康が嫌な奴として描かれている場合は、たいてい作者が家康を嫌いで秀吉は好きで、秀吉が嫌な奴の場合は、逆だと思いますから、ドラマを史実として見てはいけません。それに、四百年も昔の人の性格について、現代の私たちが論じること自体、よくないと思います。性格の善し悪しなんて、人によって捉え方は違います、ですが僕は、(散々言ったあとにすいません)個人として接したら、秀吉の方が(四十代の頃の)性格が良いと感じるであろうと思います。庶民的でひょうきんで明るく気前が良い、というのが僕の中の秀吉像です。しかし五十代、六十代の頃の秀吉は大嫌いです。
マキャヴェリの次のような言葉がヒントになると思います。
「君主たらんとする者は、種々の良き性質を全て持ち合わせる必要はない。
しかし、持ち合わせていると人々に思わせることは必要である。
いや、はっきり言うと、実際に持ち合わせていては有害なので、持ち合わせていると思わせるだけの方が有益なのである。
それでいて、もしもこのような徳を捨て去らねばならないような場合には、全く反対のこともできるような能力を備えていなければならない。」
「君主にとって、策など弄せず公明正大に生きる事がどれほど賞賛に値するかは、誰もがわかっている事である。
しかし、われわれの歴史は、信義を守ることなど気にしなかった君主の方が、偉大な事業を成し遂げていることを教えてくれる。
それどころか、人々の頭脳を操る事を熟知していた君主の方が、人間を信じた君主よりも、結果から見れば卓越した事業を成功させている。」
「裏切りや残酷の限りを尽くした後でもなお、外的からも国内の敵からも地位を守りぬいた人々の例を見れば、なぜそんなことが可能であったのかと疑問に思う人がいるに違いない。
それらを解くには、この種の悪行が巧みに使われたか、それとも下手に使われたかを見極めることが重要だ。」
人に溺れ、人を信じた秀吉。
人を疑い、人を信じなかった家康。
一概に性格うんぬんとは言えない複雑さがあります。
生き馬の目を抜く戦国時代で一介の農民から関白まで成り上がった秀吉が運やおべっかだけの無能者であるとは考えづらいですし、ただただ陰湿で嫌な人間の家康に三河武士達が死をも恐れない忠誠を示すとは思えません。
戦国時代の両雄が取った行動はある程度文献などで検証できても「その時何を考えてそう行動したのか」をしっかりと検証できる文献は無いので個人の印象や物語の都合としか言えませんが、個人的には両方裏表があると思います。
戦国時代はそれこそ騙された方が悪い世界でしたし、表裏を使いこなせなければ武将として生き残ることすら危うかったでしょう。農民の出で後ろ盾のない秀吉や周囲を強国に囲まれて長男すら自刃させないといけなかった家康は当然裏表を使いこなしていたはずです。
現在「裏表がある人」と言うのは良い意味では使われませんが、戦国時代ではそれこそ正義だったと思います。
江戸幕府が出来たのは一代で成り上がった秀吉の地盤の弱さが原因だと思います。もし太閤秀吉にしっかりとした後継者が居れば、江戸幕府は出来なかったでしょう。
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