戦国大名で、誰が天下を取ってれば、
今の世の中から最も違う世界に、なってたと思いますか?
徳川幕府が結果的に鎖国という形で貿易を制限し、米本位制といっていいくらい、米を重視したということを考えると、南蛮貿易を推進したり、より通商を重視した(日本という国が米を軽視してなりたつはずもないので、あくまで徳川幕府と比較すれば)形で経済産業政策をとる大名が天下をとっていれば面白かったなぁ、と思います。そういう点でいうと、やはり九州の大名で徳川時代にもせっせと密貿易に励んだという薩摩の島津義久なんて面白いことになったのでは。キリスト教もOK、でも自分は改宗はしない(まぁ、そのうちお得だと思ったら改宗した可能性大ですが)
で、↓の方の本願寺家というのを読んで、ではキリシタン大名だったらもっと面白かったかも、とか思いました。何しろ日本にきていたのはイベリア半島系カトリックですから当時のキリスト教徒の中でもとくに狂信的というか排他的というか。これまた大変なことになったでしょうね。日本全国カトリック化!とか言って本願寺門徒なんてとんでもないことになったでしょう。日本全国てんやわんやですね。というわけで、キリシタン大名のうち、もっとも勢力大であった大友宗麟にも一票いれておきます。
たとえ戦国時代に誰が天下を取っていたにせよ、
19世紀の外国船の到来、開国の要求を経て、
日本が近代国家に変わらざるおえない状況が待っているのですから、
「違う世界」は望むべきもなかったと思います。
ただ当時の為政者がもし徳川幕府のような鎖国政策を行わず、
積極的に西洋諸国の技術や考えを取り入れていたなら、
おのずと文明開化の時期も早く到来し、現代社会に
今の状況と違う結果を残していたかもしれません。
当たり前と言えば当たり前ですが本願寺顕如じゃないでしょうか。
彼が天下を取っていれば神道は台頭せず、浄土真宗は日本の宗教になっていたでしょう。
今のように無信教の日本ではなく、浄土真宗を中心にいくつかの宗教が争い、殺伐とした国になっていたと思われます。
何を以ってして大名と呼ぶかですが、宗教を母体にしている事を除けば本願寺は十分な大名と言えるでしょう。
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