戦国武将「本多忠勝」は本当に強かったのですか?
ゲームの戦国無双をやっていると、総大将にはならないものの
敵でも味方でも本多忠勝は他の武将に比べて異様に強いんですが
これは事実に基づくことですか?
ゲームの中で秀吉なんかは、「忠勝は強すぎるから相手にするな」と言っているくらいなんです。
彼についてwikiで調べましたところ「東国一の勇士」と言われていたそうなんですが
そんなに強いのに、なぜ天下を取らなかった、というか取ろうとしなかったんでしょうか?
歴史的にも秀吉や信長等と比べてもそこまで有名な武将ではないですよね?
そんなに強かったのならもっと脚光を浴びても良いのに・・・と勝手に思ってしまいました。
本多忠勝について詳しい方宜しくお願い致します。
まず、「強い=優れた統治者」とは限りません。むしろ正反対に位置する事の方往々にして目立ちます。
天下を取るくらいの人になると個人の武勇よりも、そういった人間を「使いこなす器量」の方が重要です。
三国志でも劉備の下に関羽・張飛という剛勇の者がいて、その二人を上手に使いこなしたからこそ蜀を建国出来たのです。
なので、その「東国一の勇士」を使いこなした家康の人心掌握術が並じゃなかったからこそ、忠勝が家康の配下に治まり続け、自身が野望を持つことが無かった所以でしょう。
脚光は浴びすぎているほどに浴びてますよ!!
400年以上経った今でも数多の戦国武将の中で最強を謳われているのですから。
まぁ逆説的には400年以上経ったから最強と言われているのかもしれませんけどね。
大名の立花宗茂と東西一対の勇士とされてますからね。忠勝は家康の家臣ですから、家康はさらに強いわけです。
大久保の三河物語、改正三河後風土記を読みましょう。
>戦国武将「本多忠勝」は本当に強かったのですか?
忠勝が、結果的に天下人になった徳川家康の配下であったことで、その武勇伝がさまざまな資料に残されており、他の回答者様の言われているような逸話も現代に伝わっています。
その中には多少の虚構や誇張はあれ、「本多忠勝は強かった」のは、事実だと思います。
余談までに、忠勝晩年の、桑名に転封されてからの逸話を一つ。
ある日、嫡男の忠政と舟で漕ぎ出た忠勝は、城周辺に生えるアシのそばに船を寄せると、忠政に、「櫂でアシを薙いでみろ」と言ったそうです。
「そんなこと簡単ですな」
忠政が櫂を片手で振るうと、アシはぽきりと折れ曲がり、なぎ倒されました
それを見た忠勝はからからと笑いながら、「なんと力なき御仁よのう」と言ったそうです。
そして、櫂を片手に振るうと、アシはまるでカマで薙いだようにざっくりと切り取られていたそうです。
>そんなに強いのに、なぜ天下を取らなかった、というか取ろうとしなかったんでしょうか?
人に使われることで能力以上の力を発揮する人と、人を使うことで能力以上の力を発揮する人がいたとします。
後者がその主君であった『徳川家康』だとすると、まさに前者が『本多忠勝』その人です。
そんな人間が、天下を取るなどという野心を持つと、いったいどういうことになるでしょう。
「無双OROCHI」中で、忠勝と並ぶ「武の人」といえば、『呂布奉先』その人ですが、呂布が天下を取ろうとして、どういう末路を迎えたか、ご存知ですよね。
もし、忠勝がそのような分不相応な事をしようものなら、呂布と同じ結果を迎えたと思いますよ。
主君である徳川家康からの忠勝の評価は、「武だけの人」でした。
政権中央での官吏(事務官)の能力はないことを十分承知した上で、家康は彼が思う存分に能力をふるえる『戦場』という、民衆受けする派手な表舞台でのみ使ってきたのです。
しかし、彼のような武巧派の武将たちは、関ヶ原の戦い以降、裏方的存在だった官吏や謀臣がより必要となると、つぎつぎと地方に領地を与えられて中央から遠ざけられ、かつての武勇に比べれば不遇な晩年を過ごしています。
忠勝らにしてみれば、出世して大名になるよりは、主君の傍らに仕える一兵卒のままでよかったのかもしれませんが、その活躍の場がなくなってしまうのですから、左遷や閑職にまわされるのと同じくらいの悲哀を味わったことでしょうね。
「かすり傷一つなかった」根拠として、実は前線で槍を振るう豪傑、猪武者というより後方で戦況を見守る戦術家だったんじゃないか、といわれてますね。夢のない話ではありますが。
武将としてあるべき姿を全うしているところから「優れた武将」→「強い武将」とイメージが変わったのかもしれません。
乱世が沈静化してから彼の居場所はなかったというから、やはり戦のときに欠かせない武将だったのでしょう。
他の方の回答の通りです。
・50回以上の戦に参加してかすり傷ひとつおわなかった。
・織田信長から「日本の張飛」「花実兼備の勇士」とたたえられた。
・豊臣秀吉から「東国一の勇士」とよばれた。
・武田信玄から「家康に過ぎたるもの」といわれた。
・使っていた槍は穂先にとまったトンボが切れたことから「蜻蛉切り(とんぼきり)」とよばれた。
とまあめっちゃ強かったことは確かなのでしょう。
武功だけでなく戦で敵方の武将を味方に引き入れる調略にも功績をあげているようで武力だけの人でもなかったようです。
まあ本人は家康への忠義に厚い人だったのでしょうね。
私も無双はやりましたけど強いです。
でも実際忠勝は戦国一の豪傑です。
生涯50回以上もの戦に参戦しかすり傷一つ負わなかったという化け物のような強さです。
また天下人織田信長からは「ヤツは日本の張飛だ」、
同じく天下人豊臣秀吉からは「東国一の勇士」、
戦国最強の武将武田信玄?から「家康に過ぎたる者」と大絶賛されています。
特に信長は人をめったに褒めない男ですから忠勝の武勇に相当感銘を受けたのだと思います。
まぁ本当に強かったかは古文書などを調べて見なくてはわかりませんが・・・
とりあえず史実に基づいて書かれた人物であると思います
ゲームはあくまでイメージですので必ずとは言えません・・・・
強いからと言って天下を取れたわけではありません才や人望がなくては社長にはなれません
本多忠勝は徳川家康に忠義の厚い男ですから裏切って天下を取ろうとした人物ではありません
現代で言えば社員がただ強いというだけで独立して社長になって天下をとるという無謀な行為だと思います・・・・
脚光を浴びる浴びないはやはりその人物の地位的な位置により脚光を浴びにくいという事もあると思います脚光を浴びるとすれば戦さなどで家康の近くにいる強い家臣という存在が強いですね
もし脚光を浴びるとすれば今、大河でやっている直江兼続のような何か現代に響く事をなした人物としてスポットを浴びればその存在がもう少し明らかになるのではないかと思います。
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