2012年5月4日金曜日

李氏朝鮮の歴史や文化みていると、そのしょぼさから 儒教の教えがとても害のあるも...

李氏朝鮮の歴史や文化みていると、そのしょぼさから

儒教の教えがとても害のあるもののように感じます。

でも中国でも長い間官学だったんですよね。

中華帝国は経済も発展してたし文化や科学技術も発達してましたよね。

いったい朝鮮では何が悪かったんでしょうか。







単純に、儒教が有害であると片付けても問題ないでしょう。



たしかに一見「中華帝国は経済も発展してたし文化や科学技術も発達してました」ように見えます。

ですがそれが儒教の恩恵かと言えばもちろんそうではないわけです。



儒教の教えの始まりである孔子の言ってることは「昔はよかった」であり、「現実よりも理想が大事」であり、進歩を全否定するが如きものです。もちろんこれは単純化した一面的な見方ですが、実利第一の時代である戦国時代に流行らなかったのは当然ですし、

「人間ほっとくと堕落するから法律でコントロールしましょう」という教えを奉じる秦が天下を統一したのも当然です。



その後の漢王朝も、建前としては儒教を使うふりをして人々を騙し、実態面では秦王朝の方法論を継承しました。要するに中国は広くて国力に余裕があったので、本音と建前を分離する余裕があったというだけの話に見えます。



似たような問題としては、たとえばイスラム教があります。多少厳しめに見ても、15~16世紀ぐらいまでなら、イスラム世界というのは

「経済も発展してたし文化や科学技術も発達して」いた社会でした。

ですが、実際にはイスラム教は科学技術とはちっとも相性の良くない学問ですし、利子を否定してみたりします。で、繁栄していた、たとえば世界最大の都市だった時期のコルドバの様子とか観察すれば、やっぱり本音と建前が分離していて、近隣のキリスト教徒(貧乏で禁欲的な暮らしを強いられていた)に悪影響を与えて堕落させているとかなんとか指弾されたりしています。



逆に、貧しいところでは、何かの教えをあくまで固守しようとする原理主義的な動きが出てきます。もちろん、そういう教条的な考えは、普通は人々をますます貧しくする方向に作用します。

つまりは、そういうことではないでしょうか。

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