中国では月にいらっしゃる兎さんは餅をついてるのではなく薬をつくっているそうですね。
そこで、兎さんがつくっている薬は不老不死の薬みたいなのですが、どうして中国の兎さんは月で不老不死の薬を作っているのでしょうか?
日本では『古事記』のような系統だった神話が編纂されましたが、中国は地方や民族、時代によって様々な神話が生まれ、共存しています。
月に住む兎にも多数の伝説が有ります。
1、嫦娥の化身説
嫦娥に関してはfrogman様が詳述してくださいましたので省きます。
月に登った嫦娥は、兎に変身させられ、罰として満月の日になると天界の神々のために薬を作るよう命じられたといわれています。
2、嫦娥のお伴説 一
ある時、三人の神仙が貧しい老人に化け、狐、猿、兎に食べ物を乞いました。
狐と猿は食べ物を提供しましたが、兎は何も持っていません。
そのため、兎は「私を食べてください」と言って火に飛び込みました。
それを見て感動した神仙は兎を月に送り、孤独な嫦娥と一緒に薬を作るようにさせました。
3、嫦娥のお伴説 二
遥か昔、修業をして仙術を見につけた兎がいました。
ある日、この兎は、天帝の怒りに触れ月に送られる嫦娥に会いました。
兎は嫦娥を哀れに思い、自分の一番小さい娘を月に送り、嫦娥のお伴をさせました。
*嫦娥伝説にも異説が有ります。
有名なのは不老不死の薬を一人占めした罰でカエルになったという説ですが、仕方なく薬を盗んだという説も有ります。
その一
嫦娥の夫・羿は9つの太陽を射落し天下の主となりました。
しかし羿は強欲横暴な君主で人々から嫌われていました。
ある日、羿は西王母から不老不死の薬をもらいます。
それを知った人々は羿の天下が永遠に続くと思い嘆きました。
嫦娥は見るに堪えず、人々を救うために薬を盗み自分で食べました。
天帝は嫦娥が薬を盗んだ罪を責めて月に追放しました。
その二
羿と嫦娥は仲の良い夫婦で、羿は不老不死の薬を嫦娥に預けました。
ある日、羿の弟子蓬蒙が薬を盗みに嫦娥の部屋に侵入しました。
嫦娥は蓬蒙に薬を渡さないために自分で食べました。その結果、体が軽くなり、天に登ったといいます。
これらの伝説では嫦娥は善人として描かれています。
3の仙術を得た兎が嫦娥を同情したのはこういった話が前提になっていると思われます。
兎の話に戻ります。
4、羿の化身説
嫦娥が不老不死の薬を食べて月に行ったのを知り、羿はその後を追いました。
この時、羿は嫦娥が好きだった兎に化けました。
しかし嫦娥は自分のそばにいる兎が羿の化身だとは永遠に気がつかなかったそうです。
5、伯邑考説
商(殷)の時代も終わる頃、当時勢力を拡大し始めた周の文王に伯邑考という長男がいました。
商の紂王には妲己という有名な悪妻がおり、妲己は眉目秀麗な伯邑考に目をつけました。
しかし伯邑考は悪女妲己を罵倒しました。
妲己は怒り、夫紂王に伯邑考の悪口を言い、殺させました。
しかも伯邑考の肉で饅頭を作り、父文王に食べさせました。
その日、文王は気分が悪くなり、突然3羽の兎を口から吐き出しました。
文王はそれが息子の魂だと知り嘆き悲しみます。
夜、女神女媧の命令を受けた嫦娥が来て兎を連れて月に帰りました。
以上が兎と月の伝説です。
ただしこれらは先に「月には兎がいる」という前提が有り、後から作られた話のように思えます。
文献を見ると恐らく屈原の『天問』にある「顧菟在腹」というのが、月に動物がいるという記述の最も古いものだとされています。
しかしこの「顧菟」が何かは諸説あります。
1、嫦娥の化身である蟾蜍(ヒキガエル)とする説。
2、「菟」は「兎」と同じで、「顧菟」とは兎の名前とする説。
3、1と2の折衷説で「顧」はヒキガエル、「菟」は兎とする説。
これらとは全く別の説も有ります。
湖北省の曾侯乙墓(戦国時代の遺跡)から日月神獣の絵が発掘され、そこには虎のような絵が描かれているそうです。
楚の地には虎信仰が有り、月の守り神として虎に似た「顧菟(楚の方言で菟は虎の意味)」という神獣がいたのではないか、屈原はそれを歌ったのではないか、という説です。
こうなると兎とは全く関係なくなってしまうので、兎の話に戻ります。
漢代の絵などを見ると、月と一緒に描かれるのはカエルが多いそうです。
陰陽五行思想でカエルは陽、兎は陰の代表で併存するという考えもありました(「月陰也、蟾蜍陽也、而与兔并」『五経通義』)。
しかし後漢になると、カエルがほとんど見当たらなくなります。
後漢の楽府『董逃行』に「白兔長跪搗薬虾蟆丸」とありますが薬を作っているのは兎だけです。
恐らく、元々は月にいたのはカエルで、前漢の頃に併存するようになり、後漢には兎に変わるようになったのではないかと思います。
なぜ薬を作っているのかというのはfrogman様おっしゃる通り、月の満ち欠けが不老不死を象徴しているからとか、嫦娥が盗んだのが不老不死の薬だったのでそれを償うためとも言われています。
中国からしたら「なぜ日本ではお餅?」ということになるのでしょうね。
この辺りの検証も面白そうですが、文字数が足りないので・・・。
日本の月の兎は杵を持って餅を搗いているとされますが、
中国の月の兎はやはり杵を持って不老不死の薬を搗いているとされます。
月の満ちては欠け、欠けては満ちる様子が、
不老不死・再生の思想と結びつけられたともされます。
不老不死の薬は、
BC2世紀末の『淮南子』覧冥訓に、
弓の名手・羿(げい)が西王母という女神からもらった不老不死の薬を、
その妻・姮娥(こうが)が盗んで(飲んで)月へ逃げたという話があり
『後漢書』には月で姮娥が蟾蜍(せんじょ・ひきがえる)に変身したとあります。
日射神話とされます。
殷の宇宙観では、太陽の数は全部で10個あり、
交代で空を廻っているとされました。
殷の始祖とされる「帝俊(舜)」の
3人の妻の一人「羲和」が生んだ息子とされます。
「娥皇」が地上の国を産み、
「嫦娥(じょうが)」が12人の娘(月)を生んだとされます。
10人の太陽は、堯(ぎょう)の時代に一度に天に現れます。
人間は熱くてたまらず、作物も枯れてしまいます。
五帝の堯の願いで「黄帝」が、
天界から弓の名手の羿(げい)を派遣します。
羿は9本の矢を使い9個の太陽を射落とし、
太陽は1個になりました。
ところが天帝からすれば息子を射殺されたわけで
怒って羿が天界に帰れなくしたため、
彼は不老不死の力を失います。
羿の妻は嫦娥なのですが、
彼女も夫の罪を被って俗界に落とされますが、
不平不満が募り羿に文句ばかりいいます。
羿はいたたまれなくなり放浪のたびに出て、
崑崙山に住む「西王母」に相談します。
彼女は哀れに思い羿に不老不死の薬を与えます。
不死の薬は二人で分けて飲めば不死、
一人で飲めば天に昇れ神になれる量でした。
嫦娥は天界の暮らしが忘れられず、隙を見て全部飲んでしまい、
天に上りますが、
さすがに悪いと思ったのか途中の月に向かいますが、
月に付いたとたんに蟾蜍・蛙に姿が変わってしまいました。
ちなみに、羿は弓で獲物を狙っている最中に
家僕に殺されてしまいます。
月の異称としての「れいせん」とも呼ばれ、
漢字では「醴泉/霊蟾」と書きます。
「蟾」はヒキガエルのことで、
古来月に棲んでいると言われている生き物です。
月に棲んでいる特別なヒキガエル(霊+蟾)という意味が変じて、
「霊蟾」が月を指すようになったのだと思われます。
カエルが何故ウサギになったかは、
漢字の誤りらしく、「蟾蜍」を「顧菟」と表記したために、
「菟」がウサギと認識され、
ヒキガエルからウサギへと
取り違えられたことから来たというのが定説らしいです。
月の象徴の主役はヒキガエルからウサギへと変わり、
紀元前3世紀の『楚辞』天問編に月中の兎のことが歌われ、
湖南省で発見された紀元前2世紀の、
馬王堆1・3号漢墓出土の、絹布に絵を描いた「帛画」に、
月中に兎と蟾蜍(せんじょ・ひきがえるのこと)の図案が描かれています。
ちなみに、宋代の『後山叢談』は、
地上の兎はすべて雌で、月の兎は逆に雄ばかりだから、
地上の雌兎は月光をあびて妊娠するという俗説を収録しています。
また古い中国の習俗では、
陰暦8月15日(日本の十五夜、中国では中秋節)の際、
「兎児爺」と呼ばれる兎の顔をした粘土製の武人像を飾るといいます。
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