2012年5月5日土曜日

朝倉義景について 戦国無双3で浅井の演舞をやっていると、どうにも朝倉のイメー...

朝倉義景について



戦国無双3で浅井の演舞をやっていると、どうにも朝倉のイメージが悪くなるばかりなのですが^^;


実際の朝倉義景という人物はどんな人だったのでしょうか?



あと、明智光秀が本能寺の変に踏み切った理由とは、なんだったのでしょう?

無双では、信長の残虐さに苦悩した結果…な感じでしたよね。

でもちょっと調べたところ(って言ってもWikipediaなんですが)、信長とはそれほど性格的に合わなかった訳ではなかったようなので、みなさんの解釈でいいので教えていただきたいです。





カテゴリーについて

聞きたいことは史実の人物像なので歴史カテにしたんですが、そぐわないようでしたら変更いたします







実際に戦国無双をプレイしたことがありませんが・・・。



朝倉義景は現在においても一般的には暗愚な戦国武将と言うイメージが払しょくできていない人物であると思います。理由としては足利義昭が領地であった越前に頼ってきた際も、上洛作戦には冷淡で結局、隣国の織田信長へ鞍替えされたため、みすみす天下取りを棒に振ってしまったこと。また、信長が岐阜へ撤退した際に追撃をすれば打ち取れる可能性があったにもかかわらず、それを実行しなかったこと。寵愛した2人目の正室(かなり美人だったみたいですが・・・)が亡くなり、その正室が生んだ男子も早世したことが原因で、政治や軍事に興味がなくなり、結果として朝倉氏存亡の合戦となった姉川の戦いでも、正室がなくなった後に側室として小少将を溺愛して、朝倉氏本拠地である一乗谷に引き籠っていたことなどなど。

でも、全てが全て暗愚のお坊ちゃんだったかと言うとそうでもなくて、武田信玄に仕え、諸国使番として各地を巡り、信玄上洛作戦の際にも朝倉氏に使者として赴いた日向宗立から武田流戦術の秘伝を学んだと言う文章もあるそうなので、決して軍事に興味が無いわけでも保守的な人物でもなく、積極的に新しい戦術を取り入れようと頑張っていたことも伺えます。それに結構いろんな大名、越後上杉氏や遠方だと薩摩島津氏、足利将軍家に書状を出したりとかなり広範囲に外交も頑張っていたみたいです。

義景自身、天下取りを希望していた訳じゃないのかもしれないし、織田信長包囲網に積極的に参加しなかったのも、結論として信長が滅んでも、次は武田信玄か上杉謙信じゃないかと思っていたら、腰も重くなってしまいますものね。

偉大な父が築き上げた戦国最強と謳われた武田家を父信玄死後10年足らずで滅ぼされてしまった武田勝頼、守護大名から戦国大名へと転身を果たし海道一の弓取りと言われ、桶狭間の戦いで圧倒的な兵力差が在りながら、大将が討死にしてしまった今川義元等、結果的に家は滅んでしまったけど、再評価されても良い人物はいっぱいいると思うので、その中に朝倉義景も加えて欲しいと思いますね。だって、相手が織田信長ですから、後から比較されると悪いところばっか言われそうじゃないですか。



お話しは変わりますが、明智光秀が本能寺の変で織田信長を討ったのは諸説あるので、あくまでもこうだったら面白いのになぁ・・・と思う説で「秀吉暗殺説」、「光秀・家康共謀説」などですね。織田信長が死亡して結果的に利益があったのは、秀吉・家康の2人ですし、犯罪捜査における被害者が死亡して、一番得をしたのは誰だって言う観点からですね。朝廷黒幕説、足利義昭説などもありますが、この2つの説のどこかからか暗殺計画情報を仕入れた秀吉が、全く別のところでその計画を利用して、主君信長が亡くなった後釜を狙っていたとか面白いです。でも、中国大返し、山崎合戦等、秀吉の作戦は的確に計算されつくしていますし、主家筋の織田家に至っては、最初は重臣会議で嫡孫を後継ぎにしてやっていこう、と言っているのに結果的には、一定の配慮をしつつも、信長の子供たちは国替拒否による改易、敗戦による切腹等、徹底的に排除していこうと言う意図が裏に感じられます。また、家康にしても表向きは信長の同盟者でありましたが、武田家が滅び、北条家も織田氏の支配を認めた状態であった本能寺の変直前では、信長としても「このままで徳川家を存続させても、天下統一のためには障害」と考えて、こっそり暗殺で企てていたのかもしれません。特に武田討伐後、戦勝賀詞のため武田家の降将穴山梅雪(信君)を伴って安土城へ行った際に当初、信長は光秀に饗応役を命じましたが、腐った魚料理(滋賀県の鮒寿司でしょうか・・・?)を出したと激怒され、役を解任されたりしています。実はこっそり信長が饗応中に殺害したり、料理に毒を盛れとか指示し、それを光秀が断ったため(もしくは腐った料理をわざと出して身の危険を知らせてあげた)に激怒され解任され、このままだとマズいと感じた家康は光秀と共謀し、信長を本能寺にて殺害、結果的に山崎の合戦に光秀は破れてしまいますが、身を隠して南光坊天海として国政に復活と言うストーリは歴史の面白さ、ミステリーを語る上で面白いifになるのではないかと思います。








カテゴリーを変更しろ。あんなクソゲーと歴史をからめるな

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