2012年5月5日土曜日

戦国時代の女性の中で 誰が一番、好きですか? 理由をつけてくれるとうれしいで...

戦国時代の女性の中で



誰が一番、好きですか?



理由をつけてくれるとうれしいです。







豊臣秀頼の娘の奈阿姫が私は”善意の女性”というイメージがあり好きです。

大阪城落城後は名目的に千姫の養女とされていた為に助命され、鎌倉の東慶寺に預けられ「天秀尼」として住持となります。

その後、会津藩主・加藤明成(加藤嘉明の長子)と家老の堀主水が争った会津騒動の時に殺害された堀主水の妻子が東慶寺に逃げ込んできた事があり、天秀尼は妻子の引渡しを要求されますが男子禁制・女性保護を楯にして拒絶し幕府に訴えます。結果、会津加藤家は改易され妻子は無事に生涯を送ったとされます。

この事から東慶寺の名は庶民に知られ悪縁に苦しむ女性の救済の地として有名になったようです。

この話、昔は加藤家が堀の妻子を寺から引き出して斬殺したとされていたのですが、昭和に入ってから天秀尼に助けられた堀の妻子の子孫が寺を訪れ「うちの家の先祖の墓に、この寺で助けられ郷里に帰ったと書かれている」という話があり、事実だったと認められたという数奇というか劇的な経過があったそうです。

天下様の孫娘として育った幼少期から一転して、敗亡し家族も奪われ尼となった天秀尼は弱者の立場を身をもって知ったのかもしれず、現在でも”縁切り寺”として有名な東慶寺は彼女の優しい心が育てたものかもしれませんね。








私も本多忠勝の娘で真田信之の妻・小松姫に一票投じます!

以下はウィキペディアからの抜粋です。



慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、徳川方に味方することを決めた信之と袂を分かった舅の昌幸が居城である上田城に向かう途中、小松姫が留守を守る沼田城に立ち寄り「孫の顔が見たい」と所望した。これに対し小松姫は戦装束で舅の前に現れて「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいかない」と申し出を断った。程なく昌幸が近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ、昌幸の願いをかなえた。これにはさすがの昌幸、信繁(幸村)父子も感心しきりであったという。また、関ヶ原の合戦で西軍が敗れ、昌幸、信繁父子が九度山に追放になった後も、食料や日用品を送るなどの配慮を怠らなかったという。



彼女を亡くした時、信之がおおいに嘆いたくらいですからね。よほどの良妻だったんだろうな…

自分が男性だったら、こんな逞しくて面倒見のいい奥さんが理想的だなーと思います。







小松殿が好きです。戦国無双の影響が大きいですが。因みに一番好きな武将はその夫の真田信之です。







山内一豊の妻の千代です。内助の功でも有名ですし、頭が冴え一豊を支えた所が立派だからです。







徳川家康ファンです。

(^_^)



…が、このご質問なら明智光秀の妻、煕子ですね。



俳聖・松尾芭蕉の



月さびよ

明智が妻の

話せん



にも登場するほどの内助の功の持ち主だからです。



ご存じだとくどくなるので書きませんが、必要であれば補足を入れて頂ければ書き加えます。



僕が『明智光秀って逆臣だけど、結構好きだな』と思うようになった一つの要因でもありますね。

(^_^)b







こんにちは。



個人的に浅井三姉妹の次女・初(常高院)が一番好きですね。

女性ながらに大坂の陣の和睦交渉の使者をつとめ、姉妹の架け橋になろうとした彼女の存在を知り、同性ながら惚れてしまいました(笑)

淀殿と大河ヒロインの江の間に挟まれて三姉妹の中でもっとも影が薄いですが、そんなところもいいなぁと。

でも、彼女の周りの女性はほとんど好きです。



あと小田原北条家の姫君もいいですね。

武田勝頼室の北条夫人とか、今川氏真室の早川殿とか。

気丈で、夫を一途に支え続けた女性には惹かれるものがあります。

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