戦国時代に天下人の片腕になり損ねた人物を教えて下さい
①石田三成
関ヶ原の敗戦はやはり致命傷でした。仮に、あれで西軍が勝つという歴史が存在すれば、
石田三成が天下人の片腕になっていたと思います。
もしくは、彼もまた下克上の時代の人間ですので、天下取りを狙ったかもしれません。
あくまで、豊臣家筆頭家老としての地位はキープしつつ、政治的に実権を握る(独占する)
等、方法はありましたし、第一、その野心なしに、単純な義侠心のみで挙兵したとは考えにくいです。
②柴田勝家
柴田氏は、あくまで織田信長の息子を支持していました。彼の妻も織田家ですので、彼が賤ヶ岳で勝利して
いれば、織田家重鎮としての地位で天下統一を支持したと思われます。
あからさまな秀吉とは違い、彼の場合、支持するあいてが元服し、すでに勢力として独立していたので、
おそらく、天下人の片腕になりたかったのは彼ではないでしょうか?
③松永久秀
戦国時代的に見て、非常に狡猾で、人間的におかしいんでねえか的な印象をもたれがちですが、
彼ほど戦国時代の武家の生き方を体現しまくった男はいません。極めて、当時の感覚としては正常だったでしょう。
裏切りの権化的な人物ですが、三好→織田と、常に天下に近い人物に味方している姿勢は、どちらかといえば、
「天下そのものを狙うより、天下人に恩を売り、重鎮として活躍したい」という考えの現れにみえます。
最後は見誤ってしまいましたが、降伏はせず、これ以上織田についても出世できないと見た彼の野望の最後
を悟ったのかもしれません。
○浅井長政
朝倉家に義理立てせずに織田側についていれば信長の妹婿として政権の重鎮としての扱われたでしょう。
○蒲生氏郷
織田信長の娘婿、織田政権が続いていれば次代の旗手として重要な地位に就いた可能性は高いでしょう。
○竹中重治
いわゆる竹中半兵衛…毛利攻めの陣中で没しますが、生きていれば豊臣政権内で大老クラスの地位に就いた可能性があります。
○神子田正治
マイナーですが半兵衛の後継者と目されていたが、小牧・長久手の戦いで失敗…功名心が高すぎて自滅した人物です。
石川数正。酒井忠次と並ぶ徳川家康の重臣。出奔しなければ、片腕かどうかはともかく、徳川四天王の一人にはなっていたでしょう
イチオシは「坂崎出羽守直盛」
燃え盛る大阪城から、家康の最愛の「千姫」を助け出し、
「助け出したものは千姫と結婚させる」
の約束が守られたら、家康の孫婿になるはずだった
織田信行(信勝)とか。
信長の弟に甘んじ、兄を立てていれば、あるいは…。
信長に対して諫死したと言われる平手政秀はちょっと高齢すぎますかね。
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