織田信長の特異性はどんな点があったのでしょうか?
信長の特異性というのはいくつもあると思いますが、
典型的なものに以下の点が挙げられると思います。
・ものごとの善悪や方針を自ら判断したこと。
信長についての逸話のなかで、大蛇退治の伝説があります。
大蛇が住んでいるという噂を聞いた信長が、その真偽を確かめるために水練の達者な人間に探させたり
はては、池の水を掻き出して確認したと伝えられています。
また、「火起請」の逸話がありますが
http://www.nobunaga-lab.com/labo/07_ibutu/07-01_ituwa/002-higishou....
ここからも読み取れるように、信長が善悪の判断を自ら行うことを何より優先していたことがわかります。
家臣まかせにしたり、慣習や世間の噂などから判断するよりも、
自らの正否、善悪の判断を優先していたということは間違いなく言えると思います。
信長の軍事上の問題や政策の決定も、自分の判断を何よりも優先していました。
信長が譜代の家臣だけでなく、秀吉や光秀、一益のような外様の家臣を積極的に登用したのも
その一面だと思います。
・初期の段階から、極めて明確に天下統一の構想を持っていたこと。
信長は美濃を攻略したことから、「天下布武」という自分の構想を明確に打ち出しています。
このような構想を具体的に抱いていた戦国大名は他にはほとんどいなかったと思います。
他の大名、例えば今川義元や武田信玄にしても、領土を拡げようだとか、京に上って天下に号令しよう
などとは考えていたかもしれません。
しかし、天下を統一しようとまでは考えていなかったと思います。
信長は、比叡山焼き討ちや一向一揆や本願寺との争いから
宗教を弾圧したとか、宗教意識がなかったという見方が強いとも思いますが
必ずしもそうではなかったと思います。
信長は守役であった政秀が亡くなった後は「政秀寺」というものを建立して
その菩提を弔っています。
また、完全に対立していた本願寺についても、石山本願寺から退去した後
その宗教活動は許していました。
本願寺との抗争や比叡山焼き討ちは宗教弾圧や宗教観の欠如というよりも
自らの天下統一に邪魔になった勢力をただ排除しようとしていたものであって
妨げない宗教勢力に対しては、それを排除しようとするものではありませんでした。
○土着性からの脱却。
銭で集めた足軽傭兵軍団を組織。
領内の郎党中心の農民兵に頼る必要が無く、岐阜→安土と本拠地まで情勢に応じて移動した。
○伝統的な宗教意識の欠如。
この人の辞書には「罰当たり」の言葉は無かったと思う。比叡山焼き討ちの際には仏像を「木と金で出来ている」と発言。
仏教勢力への対抗策としてキリスト教を寛容に扱う(但し利用価値を認めただけで信者ではない)など、
当時の人間としては特異な宗教観を持っていた。
他の方が指摘された「身分にとらわれない人材登用」も同意です。
①比叡山焼き打ちなどの宗教や既存の権威を壊そうとした点。
②豊臣秀吉などの家柄を関係せず、実力主義を採用した点。
声が甲高い。。。。。。
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