2012年5月4日金曜日

戦国大名の家紋をみていたら里見氏とか最上、大崎氏とかで丸に二本線が多いのはな...

戦国大名の家紋をみていたら里見氏とか最上、大崎氏とかで丸に二本線が多いのはなぜですか??



と、武田とかみたいに他に似ている家紋ががおおいのは?

おねがいしまーす(n‘∀‘)η







○に二本線は二つ引き両という家紋です。足利家の紋です。



最上、大崎は足利の一門だったとおもいますから同じ紋なのは道理ですね。

問題は里美氏。新田(○に一本線)の一門のはずです。でも足利が天下を取ってから長いものに巻かれたかもしれません。



足利一門だって、南北朝の動乱で新田に負けたときには、旗の二つ引き両の真ん中を黒く塗りつぶして新田の紋にしてごまかしたという話がありますから。








家紋というのは、譲渡・譲与の対象なのです。主君から家紋を与えられるというのは大変な名誉でした。

「丸に二つ引」の引両紋は、足利氏の定紋「揃い二つ引」が元で、足利将軍家が、家臣たちに「丸に二つ引」などの使用を許可(下賜)したことにより、このようなことになりました。ただし、遠山氏の「九字に一つ引」や三浦氏の「丸に三つ引」のように、二つ引に限って下賜したのではなく、「引両紋」全般で下賜したのだとおもいます。

武田氏の菱紋についても、その家臣に使用を許したことで同様の家紋を周りが使用するようになったのです。ほかの豊後大友氏とその家臣たちの杏葉紋もそうですし、織田氏の織田瓜ももとは主君であった朝倉氏から下賜されたものなんです。

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