2012年5月8日火曜日

徳川秀忠のドラマについて。

徳川秀忠のドラマについて。

今度の大河ドラマは「江~姫たちの戦国~」です。

江役を上野樹里さんがして、徳川秀忠を向井理さんです。

(だがな、私としては「葵 徳川三代」の

お江を岩下志麻さんと(ちょっと極道タイプの恐妻家)

徳川秀忠(徳川家康の子供で、お江に頭の上がらないボンボンタイプの愛妻家)の

方が見比べてしまうのですが)



ところで、質問です。

結構、大河ドラマやそのほかの時代劇ドラマでは、どの徳川秀忠が良いと思いますか?

①大河ドラマでは

「徳川家康」「独眼竜正宗」の、勝野洋。

「春日の局」の中村雅俊。

「琉球の風」の岸谷五郎。

「葵 徳川三代」の西田敏行。

「武蔵 MUSASHI」の中村獅童。

「功名が辻」の中村梅雀。

「天地人」の西川明教。

普通の時代劇だと

「大奥~第一章~」の渡辺いっけい。

「天下騒乱~徳川三代の陰謀」の山下真司。

その他の時代劇ドラマ

どれもいいキャラクターなので決められません。

②今度の徳川秀忠の役を向井理さんが演じます。

すいませんが、この前まで「ゲゲゲの女房」が始まるまで、

向井さんの演技を見たことがないので、詳しいことは知りませんでした。

(最近ドラマを見ていない、自分なのもので)

今度の向井さんの秀忠はどうなっていくと思いますか?

(今の旬な俳優ですし、かっこいいし、クールな俳優だと思いますが)

またどんなキャラクターとなるでしょうか?



今度の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」を楽しみにしています。







①『春日局』の中村雅俊です。

なんか大河では一番印象に残ってます。

子供だったのでストーリーはうろ覚えですが。



②原作を読みましたが、

間抜けぶってて、すごく冷めてて、江をからかって遊んでる感じなんですが、

実は…みたいないわゆるクールのふりしたツンデレキャラでした。

めちゃくちゃ少女漫画的なキャラになると思います。

きっと恋愛色は篤姫より強いかと。

向井さんはクールな役が多いのでピッタリかもですね。

任天堂wiiのソフト(アクション)を買いたいと思います wiiのソフトでおすすめ又は...

任天堂wiiのソフト(アクション)を買いたいと思います

wiiのソフトでおすすめ又はハマった、気に入ったアクションゲームを教えて下さい

ちなみに私が持っているアクション系ゲームは



●大乱闘スマッシュブラザーズX

●戦国BASARA2英雄外伝ダブルパック

●機動戦士ガンダムMS戦線0079

●ワンピースアンリミテッドクルーズ エピソード1 波に揺れる秘宝

●ワンピースアンリミテッドクルーズ エピソード2 目覚める勇者

●ワンピース アンミリテッドアドベンチャー

●ブリーチ バーサスクルセイド

●ブリーチ 白刃きらめく円舞曲

●ソニックと秘密のリング

●ソニックライダーズ シューティングスターストーリー

●大神

●アルゴスの戦士

●スーパーペーパーマリオ

●スーパーマリオギャラクシー

●ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス

●ソニック ワールドアドベンチャー

●ソニックと暗黒の騎士

●デッドライジング ゾンビのいけにえ

●ドラゴンボール 天下一大冒険

●ドラゴンボールZ スパーキングメテオ

●ナルト疾風伝 激闘忍者大戦EX3

●バイオハザード4

●パンチアウト

●メトロイドプライム1&2&3

●ワリオランドシェイク

●ヴァルハラナイツ エルダールサーガ

です







バイオハザードアンブレラクロニクルズか、来年のバイオハザードダークサイドクロニクルズ

いえば、ばいおはざーど








キャプテン★レインボーとかどうでしょうか?

金ヶ崎で信長、秀吉、家康が討死したら誰が天下人になりますか?

金ヶ崎で信長、秀吉、家康が討死したら誰が天下人になりますか?







順当に行って朝倉義景でしょう。



三人が越前で死ぬということは、朝倉軍がそのまま入京する可能性が強いです。となれば、武力を持たない幕府(つまり足利義昭)は再び朝倉義景の庇護下に入るわけで、浅井<朝倉の関係から天下人は義景になるでしょう。ここで三好三人衆が巻き返しを図ることは考えられますが、義昭自身が兄・義輝の仇である三好より朝倉を頼りにするはずです。



義景は傀儡管領に細川昭元を就け、自らは管領代に就任、長政は相伴衆あたりでしょうか?つまりかつての大内義興政権のようなものが出来上がるわけです。この時代、天下=幕府、天下人=幕府の最高権力者ですから、天下人は朝倉義景です。



※ちなみに朝廷は、信長が幕府権威の代わりに頼ったことで、その権威を回復させています。よって幕府が京に存在している限り、その力は無視しても構わない程度に小さいものでしょう。



ただ稀代の当主・信長&家康が滅んだとなれば、その遺領の争奪戦が始まります。



南近江は伊賀に潜伏していた六角の勢力が復活し、一部は浅井領となる。伊勢は北畠具教が茶筅(織田信雄)を殺し、復活。美濃は東西から浅井と武田の草刈場となり、尾張一国は奇妙丸(織田信忠)を跡継ぎに織田の遺臣が頑強に抵抗、三河も同じ。ただ遠江は武田に席巻される。



ま、概ねこのようなところでしょうか?後は朝倉義景が政権をどれほど維持出来るかです。



義景に課せられる命令は二つ。兄の仇である三好の討伐と織田家を滅ぼすこと。しかし、朝倉家の兵力では京の維持で手一杯であり、尾張へ向かうことは出来ないでしょう。北畠や六角も織田残党が自国内に存在するだろうから、兵を外へ向けるのは困難。すると、織田征伐は信玄に委ねることになります。ただ信玄の寿命は迫っており、恐らくは織田家滅亡一歩手前で寿命が来ると予測します。織田と徳川の家臣は優秀なのが多いので、あっさり負けることはないと思います。(信玄が死ねば、織田&徳川は一時的に巻き返す)



そして、この後ですが、家中での義景の横暴さを考えると、恐らく義昭と義景の対立が始まるはずです。つまり朝倉包囲網が密かに形成されます。信長の器量を以ってしてようやく包囲網は破れたわけで、義景程度では政権維持は不可能でしょう。また包囲網形成で織田の力を再び欲した義昭によって信忠は赦免され、信忠×松姫婚姻復活で武田と和睦、滅亡を免れるでしょう。(史実で三好を許した義昭なら、義景と敵対した今、信長亡き織田家を味方に引き入れても不思議はない)よって包囲網は着実に輪を狭め、信長討死から義景が政権維持できるのは、3~5年と予測します。その後は、一時的に三好となり、そして上杉か毛利の後、謙信が死ねば毛利独裁になるでしょう。流石に将軍から頼られれば、毛利元就の遺訓もあったものではないはずです。(事実、輝元自身に野心はある)尚、武田勝頼にも可能性があると思います。



よって最初の天下人に朝倉義景、その後は毛利輝元と考えます。但し天下統一の気配はまったく見られず、戦国時代がもう50~100年は続いたことになったのではないでしょうか?








武田信玄が一歩リードだと思います。

国力、人材ともに申し分ないですし。

西上作戦を開始して混乱する徳川、織田家を併呑し、天下に号令をかけると思います。

武田家は源氏の流れを汲む名門ですから、征夷大将軍に就任し武田幕府が開かれるかも。







南蛮諸国の属国になる可能性が高いです。



信玄あたりが義昭を担いで中央に力を持つかもしれませんが、それは三好長慶が幕府を牛耳ったくらいの事にしかならず、各地での戦乱は収まらず、本願寺は諸国に治外法権をつくり、とにかくバラバラな状態が続くでしょう。



3大英雄が揃って滅ばずとも、信長一人が滅びただけでこの状態になった筈です。もう少し後ならともかく、この時期の秀吉、家康に天下国家のビジョンはありません。



戦国時代は誰もが天下統一を志していた時代に思われがちですが、実際に国家の統一をイメージしていたのは織田信長一人です。

三好、今川、武田などは京都で幕府の実権を掌握しようとしたに過ぎません。

そのことと天下統一は違います。



信長が統一を急いだ理由の一つは、諸外国からの侵略を防ぐには強力な統一国家が必要と考えたからです。



よってその信長が金ヶ崎の段階で滅んだとすれば、国内に信長に継ぐ者がおらず、内乱の果て南蛮の属国になっていた可能性が高いのではないでしょうか。







北条が膨張していって

天下を取る気がします







一応台頭者を潰したので足利義昭=室町幕府の天下が長引くのでは無いかと思います。

それ以降は可能性がありすぎてなんともいえませんが、史実より分権的な社会が成立していたと思います。







実力№1は本願寺ではないでしょうか。日本を宗教国家に塗り替えたかもしれません。仏敵信長のいない状況でモチベーションが続いたか、いまいち自信はありませんが。







どう考えも、戦国時代がずぶずぶのままの状態で推移するとしかいえないな。

下手するとスペインやポルトガルの植民地になっていたかもしれない。







足利幕府再興が一番有力でしょうね。



まず、毛利と上杉は天下を目指さないどちらかといえば

幕府に要職を与えられたら気持ち的には十分でしょう。



島津の前には、毛利がいてるし。長宗我部は本州に対して

兵力が貧弱すぎる。

機内には、天下を狙えるほどの国力を持った大名が居ないし。



武田、北条はお互いに敵が多く、伊達は戦国の中では上洛は

無理でしょう。



もしかしたら・・・・蒲生氏郷か島左近







毛利・・・・力はあるが、年。島津・・・・遠い九州統一が精一杯。長宗我部・・・・水軍なら強いかも。伊達・・・・政宗若いし、ちょっと遠い。武田勝頼・・・・子、信勝が優秀らしいから、もしかしたら武田氏が強いかも、織田、徳川の領土丸々取って、上杉、北条と講和。上洛。敵は浅井、朝倉で。







天下を掌握する野望に燃える武将たちは他にも多数存在していた筈ですし、別の武将達が戦国時代の主役に躍り出るだけの事であると思いますよ。

全国的には多数ギラギラしている野望を抱き、しかも戦にも滅法強かった様な武将達が数名存在していた筈です。

伊達政宗とかにしてみれば、戦国時代の主役達よりも20才位年代的に若かった有力武将だったのですから「好機到来」と捉える事でしょう。







その時は足利義昭が室町幕府を再興します。

250枚!!豊臣秀吉についてお願いいたしますm(__)m まったく歴史について無知なの...

250枚!!豊臣秀吉についてお願いいたしますm(__)m



まったく歴史について無知なので教えてほしいです(>_<)



BAは回答が早い&適切だった人にします(^o^)/

~教えてほしいこと~

・豊臣秀吉が全国統一するまでを簡単に教えてください。

・社会の自由研究に使えそうなこと。

・どんな人だったか。(性格など)



あと、3人の武将とは誰でしょうか。

みなさんどうかお願いします。







本来この「天下」ということばは、古代中国に由来し、春秋末期に至り周王朝が衰えて国内が分裂状態に陥ったとき、新しい主権者による統一社会の実現の目標として創出された地理的・政治的・文化的観念であった。やがて「修身斉家、治国平天下」という形で儒教的政治理念――徳治主義――を形成することになり、この「天下」観念はわが国にも早くから伝えられ、すでに古代の詔勅や宣命(せんみょう)などにも「天下」の語が頻用されている。中世にも源頼朝(よりとも)が鎌倉開幕にあたって「天下草創」と称したことや、また足利尊氏(あしかがたかうじ)の室町開幕が「天下をも草創し給(たまひ)ける」といわれたことなどもよく知られており、このように日本の歴史において中央集権的な国家体制、あるいは新しい中央集権の樹立が指向されるときには、当然想起されるべき概念とさえなっていた。1565年(永禄8)5月、天下の支配者たる将軍の地位にあった足利義輝(よしてる)が松永久秀によって弑逆(しいぎゃく)され、それより約2年後の67年8月に織田信長が美濃(みの)国井ノ口城の斎藤龍興(たつおき)を逐(お)って、同城を岐阜城と改名し、同年11月ころより「天下布武」の印を始用するのも、天下雄飛の第一歩を踏み出そうとする意識の表れである。この「天下」意識は武家のみでなく、職人の世界においても現れ、16世紀中ごろより塗師(ぬし)の「天下一」、畳刺(たたみさ)しの「天下一」というように、第一人者、日本一というほどの意味で職人たちが「天下一」を号するのも、職能による実力主義の表れである。と同時にこの民衆の「天下」意識のなかには戦国100年の争乱に倦(う)み、秩序の安定と平和の希求があったであろう。








◆全国統一するまでは

織田信長に仕えて織田政権の中枢として、

信長が日本の中部地方を統一するのを支援した。

その後、秀吉は、

中国の毛利輝元、

東海の徳川家康、

北陸の上杉景勝

を家来にし、

四国の長宗我部元親、

九州の島津義久、

関東の北条氏政

を戦で倒して全国統一します。



農民出身で、トップにまでのぼりつめたのは

世界史上非常に稀なことでした。



戦の方針としては、兵力の損失を避けるため、

それまでだれも用いていなかった戦法を用いたこと

(例:鳥取城の兵糧攻め、高松城の水攻めなど)

農民出身だったため、譜代の家臣を持たなかったので、

有力な武将は倒してしまうのではなく、降参させて

味方として使う戦術を採用していました。



※人間関係の基本は、相手のことを良く考えること

=>コラム(豊臣秀吉に学ぶ)

http://www.c-road.jp/6column/column01.html





◆社会の自由研究で使えそうなこととしては、

経済や文化面を研究してみることもできると思います。



例えば、秀吉は太閤検地を実施しますが、

検地以前、地主でもあり武装集団でもあった土豪は、

経済的、軍事的に村を支配していていましたが、

太閤検地により、一地一人耕作制が進み、

土地に対する権利が認められ、

土地所有の明確化が進み、

農民の勤労意欲が向上しました。



秀吉が実施した太閤検地によって、

日本全土の石高は18,578,110石

と算出されました。

これは、日本で初めてGNP(国民総生産)を計算したことで有名です。



また、文化面でも、安土・桃山時代は、

陶芸・茶の湯その他さまざまな面で華やかな時代です。

トップの秀吉が明るい性格だったので、

それが当時の日本文化に反映されたと考えられます。



秀吉の登場により、大名としての名声を保つことの条件として、

茶道を極めることも含まれていたわけで、

これは安土・桃山時代以前にはなかったことです。



◆3武将は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です



3武将の性格を表現する有名な川柳がありますが



織田信長(鳴かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス)

豊臣秀吉(鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトトギス)

徳川家康(鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス)







1 農民の出である これは秀吉のコンプレックス



2 信長の家来になって いろんな戦で活躍する 信長を逃がすため殿(しんがり)っていうかなり死にやすい囮になったこともある



3 奥さんは同じ織田家仲間の妹の ねね のちの高台院



4 戦の過程で蜂須賀党や有力になりそうな加藤清正、福島正則など小さい頃からかわいがったりする ねねが作った料理とか一緒に食べるレベル



5 信長が全国統一する計画の一部の役割として秀吉は中国地方の毛利家討伐をまかされる



6 信長が本能寺で明智光秀に殺される



7 たったの三日という信じられないような神速で四国から引き揚げて光秀を山崎の戦いでやぶる

中国地方から引き揚げるのを「中国大返し」

山崎の戦いで天王山をとったほうが勝ちだ的な状況になったことから 受験のとき夏は受験の天王山っていう



8 山崎の合戦の後、信長の後継者だれよってなったなかで、秀吉と柴田勝家っていうのが候補であがっていて賤ヶ岳の戦いで勝家をたおす



9 西の薩摩などの九州、東の北条氏をたをす 北条を攻めたのを小田原攻めというが 北条VS全国 にもっていって北条はどうしようもなく 北条側の会議がもうどうしよかぁってなって 会議で何にも決まらないことを 小田原評定 っていう



10 徳川家康がチャンスをうかがって小牧・長久手の戦いをしかけてきたけど、頭を使って停戦協定結んで家康を負かす



11 最後は武力じゃなく、政治力で天下統一、 自分は関白になって聚楽第っていうのつくり天皇を横につけて自分の偉さをアピール。全国に力を示した。



12 刀狩りやったり長さや枡の大きさを統一したり 文化的に天下を統一





秀吉という人物は日本史の中でもかなり描写の多い人物なので簡単に説明してもかなりの長さになってしまいます。

この人の性格としては人を使うことに長けていたということですね、今でもその知恵がビジネス書などにしょうかいされたりしてます。



有名すぎるエピソードの中で一夜で城を作ったり(いまでいうビルを1日で立てちゃったよくらいの衝撃でしょう)

冬に信長の草履を懐で暖めてたり

木を数えるのに一本一本数えるのではなく ひもをたくさん用意して、たとえば1000本なら手元に2本余ったら木の数は998本だみたいな

とても知恵が働いた人だったんでしょう。



天下統一後、秀吉は晩年、朝鮮に出兵をするのですが このせいで韓国などからはかなり嫌われている人物となっています。







・豊臣秀吉が全国統一するまで

→http://www.geocities.jp/yuutarou19800126/sengoku4.html 詳細が書かれていました☆



・どんな人だったか

→表面的にお調子者、実質は陰湿で根に持つ。陽気で洒落は好きだが、冗談は通じない。

情愛は細やかであるが、冷たく突き放す事もある。いろいろな事に興味を持ち、器用にこなす。

派手好き。あまり利づめで動かない。



・3人の武将

→織田信長・豊臣秀吉・徳川家康



正しいかどうかは、わかりませんが、ご参考までに。。。







織田信長の家来になり、頭を使った戦術(1夜で城を建てるなど)で戦に勝ち天下統一に至る。

性格はエンターテナー。話術で武将の戦意を崩す。

三武将、すなわち織田信長・豊臣秀吉・徳川家康である。

伊達政宗って何が凄くて有名な人なのですか? ネットで検索しても「戦国一、頭が...

伊達政宗って何が凄くて有名な人なのですか?



ネットで検索しても「戦国一、頭が悪い大名」の内容しかヒットしません。

輝かしい戦歴は一つもありませんし。



伊達政宗の凄い所を教えてく

ださい。







彼が現在の人気に値する『大した人物』であることは間違いないと思います

彼の行動や思惑が当ったこともあれば、外れたこともあります

でも、東北に生まれて本気で天下を狙ったのは

長い歴史の中で後にも先にも彼1人です

それは何故でしょう?

東北人の真の敵は信長でも秀吉でも家康でもない

『冬将軍』だからです

遅い春を、短い夏を、駆け足でやって来る秋を

長くて厳しい冬を生き延びるために暮らします

そして迎える冬、

雪かき、雪下ろし、そしてまた下ろした雪の雪かき…、

東北に生きるものは毎年、敵と戦う前に冬と戦い我が身をすり減らします

寒さに身をすくめれば、自然と顔は下を向く

下を向けば反骨心は削がれ

中央の権威、権力に逆らえようはずもありません

アテルイの敗北以来、東北に住まう者はすっかり自信も自尊心も失ってしまいました



しかし、彼は違ったのです

婚姻関係も含めて内に篭りたがるこの地のシガラミを断ち切り

威風をもって領内の者を奮い立たせて権力者に堂々と渡り合い

隙あらば天下をと野心を燃やし

自らの存在を高らかにアピールしました



我々にとって異質でありながらもっとも求心力がある存在

精気が漲る彼に惹きつけられるのです

「今は耐えるので精一杯、けれど何時か見てろよ…。」

政宗の生き様に我が身を重ねる

それが東北人のガマン強さ、粘り強さに繋がっているのだと思います








ネットで検索しても「戦国一、頭が悪い大名」の内容しかヒットしません。???そちらの方が不思議ですね?

正宗の業績は文献も沢山ありますから、ネットで検索すれば色々出て来ますよ。







僕も伊達政宗が好きなわけじゃないんですけどこうやって伊達政宗を批判している人は

だいたい「僕歴史好きでなんでも知ってます・・」的な人が多いです。伊達政宗は関ヶ原の戦いで上杉景勝

や徳川家康と重大な駆け引きをしています。政宗を贔屓するわけじゃありませんが政宗を

馬鹿にしてる奴はもし自分が政宗だったらもう最上や南部ボコボコにされていると思いますよ

とゆうわけで政宗はすごいと思いますよ・・







実力に比して、過大評価が段違いで、評価されまくってるとこでしょうか?







戦国時代を生き残り「石高」が「外様」の中でNo3となりました。



1位 徳川家 400万石

2位 前田家 100万石

3位 島津家 80万石

4位 伊達家 60万石



このような好成績を残し、また行動が為に成るや

「片目」で見た目がユニークなど合わさり凄いとされています。



この成績で凄いと思えなければ

その人間の観察眼がおかしいです。







どの武将も だいたい、ご当地の観光の目玉に

なっており、そのてんでは伊達政宗も関係各県の

持ち上げ が相当あるので、それも あるのじゃ

ないでしょうか。

仙台には、伊達政宗 の素晴らしく立派な甲冑姿の

騎馬状態の銅像が、あります、去年の地震でも

壊れなかったそうで、あの像が、東北のヒトの

伊達政宗への崇拝を凝縮しているのではないかと

思います。ところで、東北といっても

伊達政宗の宿敵で伯父の最上義光の ご当地

山形県は、伊達政宗で、なしに

最上義光の素晴らしい甲冑姿の騎馬の銅像が

おったっています、そんなもんなんでしょうね。







まず 頭が悪かったは嘘です

立派な教養人であって その確かな記録も残ってます

頭が悪かった などと言うのは歴史に詳しくない方々が言うセリフですね 無視したほうがいいですよ

まず阿呆は周りに無能な者を置きます それは有能な者をおくと、自分の立場を危うくなると思い 遠ざけるためです(心理学で証明されてます)

上杉憲政などがそうでした 調べてみてください

それに比べて伊達家は片倉小十郎 伊達成実 鬼庭綱元 後藤信康など有能な武将が沢山います、これだけでも頭が悪かった訳ではないと分かります



戦歴については 初陣で相馬に勝利し、父輝宗の代に奪われた土地を一度に取り返しました

人取橋の戦いで佐竹、相馬、畠山、芦名連合軍に1/10の兵で挑み(それしか用意できなかった) 最後まで粘り 遠国である佐竹を撃退させ 佐竹の援軍としてやってきた芦名 相馬の大義名分をなくし撃退させ最後に畠山に攻め込み勝利するなど 采配にも長けてました

時代は変わりますが大阪冬の陣 あの真田幸村と唯一対等に戦ったのが伊達軍でした



仙台藩の政治についても 北条家の政治を見習い 石高は一時100万(当時としてはもの凄いですよ)を越えたと言われます



まぁ確かに 美化されすぎな所もありますが けして阿呆ではなく 有能な武将であったことは間違いありません







確か若い時分20代前半で奥州一の大大名になったというのが凄い戦歴だと思います。



石高で言えば一時だけど100万石をはるかに超えてたんじゃなかったですかね、200万国ぐらいだったかな?



あの今川義元でも織田と闘う時にやっと100万石前後だったと思いますのでそれはそれで大したもんだと思います。



政宗以前植宗時代には鎌倉時代からの名家であり、積極的な政略結婚を推進したことも重なって、それなりに奥州の盟主的存在だったようですが植宗・晴宗時代のいざこざで相当国力を疲弊してた間に蘆名氏が台頭し、その背後には佐竹氏がいましたので非常に厳しい状況にありました。



そんな中を大石氏や畠山氏、蘆名氏等々次々と破って20代前半で奥州の覇者と言われていたのは凄いと思います。



まあそれと仙台市の整備等を考えるに行政能力も大したもんだと思います。



あと普通にやってれば100万石をゆうに超えていただろうに色々と欲にかられてあわよくば天下をなんて考えていたので領地拡大を許されませんでしたが泰平の世になって開き直って国力増強を図り、裏石高で100万石を達成していたところはさすがだと思いますよ。



まあ私もあんまり詳しくないんですがこういったところでしょうか?







伊達政宗のすごいところは、「世渡りがうまかった」です。

僕も以前はアンチ伊達政宗でしたが、後からだんだんと好きになってきました。

仙台をあれだけの町に発展させて、外様ながらも幕府から改易にされることなく守り抜いた処世術、これですかね。

あと、ビジュアル的なセンスの良さですかね。あの甲冑は戦国一伊達です。







伊達政宗の実績は全然大したことはありません。

後に仙台が発展したことで持ち上げられたに過ぎないのです。



凄いところと言えば、何もしていないのに有名になったことくらいでしょうか。







能や茶道等を嗜んでおり、千利休にお点前が武士らしく堂々としていてすばらしいと褒められたことがあります。







これ、いちおう質問は「伊達政宗はなぜ有名なのか?(実績に比べて)」という質問でしょう?

ならば、伊達政宗の悪口をいくら書いても解答にならないと思いますけど。

伊達政宗がどうしてメジャーか。仙台伊達家が大領主として幕末まで続いたからです。戦国大名の価値は「輝かしい戦歴」なんかにはありません。いくら途中で得点稼いでも最後にゼロになったら、大名としては失格です。戦歴なんかカスです。

どんな手を使っても家を残す、それが戦国大名の評価ポイントです。その意味で、伊達政宗ほど凄い戦国大名はいません。「あれだけの戦歴」なのに「あれだけの領地」を守ったのですから。







結局は地方区の戦国大名で凄いところ何もありません。逆に言えば周りに大した強敵も居なかったと言うべきですね。強いて言えば幕末まで生き延びた戦国大名の一つですが、薩摩の島津氏に較べても知名度は遥かに格下です。

戦国一の戦上手は誰だと思いますか? 戦術、戦略とありますが、それぞれ凄いと思う...

戦国一の戦上手は誰だと思いますか?

戦術、戦略とありますが、それぞれ凄いと思う人物をお上げください。

やはり武田信玄か上杉謙信あたりは鉄板でしょうか?







単純に戦上手ですよね?

天下うんぬんでなく

弱兵を率いても勝てる如水でしょう。信玄、謙信、家康それから島津…は確かに強いですが、率いている武将が凄いし、兵が強いですから。信長も弱兵を率いてた点は似てますが、やっぱり負け戦も多いです。農民を率いても勝っちゃい、逆に清正のような強い武将使っても勝っちゃう如水でしょう。








最終的に目的を達した徳川家康、その家康を一ひねりにした武田信玄などが鉄板と思いますが、



私はあえて、島津義弘を推します(笑)



関が原では1000名とか300名とかいわれる手勢で参戦、敵陣中央を突破しての退却をしました。

更に薩摩は、西軍にも関わらず領地を失っていません。







戦の目的を達成した徳川家康となりますかね



他の人に無い

見据えることやバランス感覚や運や手段を選ぶ器量など兼ね備えていたのでしょう

家康の描くビジョンがより現実に実を結ぶものだったこともあるでしょうね



周りとの関係や人間バランス抜きで

戦だけで見ますとその狂気も含め織田信長は戦乱と混沌の時代の象徴と言える存在と思います

戦国の世であるからこそ生まれた申し子というか戦国の世と切り離して考えられない



それと言われる通り武田・上杉は鉄板だと思われます

皆、甲乙つけがたいのでそれぞれの好みになりますかね



最終目的を成しえた徳川家康で







上杉謙信だと思います。



武田信玄と北条氏康を同時に戦っていたし、織田信長を手取川で打ち破って弱いと言っていたからです







真田親子です、関ヶ原の戦でも、秀忠の進軍を遅らせたという、実績は素晴らしいことです。残念ながら三成が破れて、流人にされますが、もし、生きていれば、大阪夏の陣でもとても面白い展開になっていたことでしょう。しかし、息子の幸村も素晴らしい才能ですね、あとすこしで家康の首までとれたのにと思うと、残念です。真田丸の設計もとても素晴らしいことです。大阪城の弱点をこれにより、強点に変換していますし。







織田信長を推す。理由は単純に最大勢力になったからです。目先の勝利だけではなく政治的、戦略的判断に優れていたから出来たのです。

補足 豊臣秀吉、徳川家康の偉業は認めますが、それも織田信長の築いた勢力を引き継いだけの話です。天下布武の旗の元、戦国時代の日本統一を誰よりも早く目指し、当時の征位大将軍の足利氏を追放し、朝廷との関係を築き、経済を奨励し新兵器の火縄銃の大量生産を可能にし戦国時代の戦術を一変させ、一向一揆集に情け容赦ない弾圧により政教分離を進めた信長の優れている政治力、戦略眼がなければ、戦国時代の終焉はなかったと思います。

戦術的にも桶狭間の戦いで戦術的不利を覆し、幾度かある敗戦にも生き残り最大版図を築いたのですから、自分の中では信長です。







そりゃ徳川家康ですよ。

いちばん達者だったから、最後に勝ちを得たってことですし。







戦術

長槍・火縄銃の大量運用と相撲の奨励、方面軍団制、関所廃止の新鋭機軸・織田信長。



戦略

個人の采配で大敗が少ないといった点では豊臣秀吉を推してみます。

(領土拡張どころか外交・朝廷工作・合戦で全国を統一しています。)

戦国時代で一番の勝ち組は誰ですか?

戦国時代で一番の勝ち組は誰ですか?

回答待ってます



日本の戦国時代でお願いします







天下をとった家康ですーーーーー。








江戸の住民。



田舎が都会になったのだから。







公家ですね。



戦国の世が終わり、幕府の庇護を受けることが出来るようになりました。



伝統的な行事は主に公家によって為されていましたが、それも平和があってこそです。







商人・町民だと思います。







面白い質問です。

でも勝ち組?単純に考えたら、徳川だけどそんな答えを求めているわけではなさそうなので・・・ためしに色々あげてみましょう。



まず細川家・・・元々幕臣だつたのに信長に乗り換えて、対幕府・朝廷要員として重用。「本能寺の変」では親しい明智につかず(ガラシャ夫人は光秀の娘。おまけに光秀に息子はいないので後継者にもなれる)、基本的に日和見なのにそう思われずに、うまく秀吉の部下になる。関が原では徳川につきついに熊本の領主として大大名となる。

次は黒田官兵衛(これでいいはずだけどパソコンでは一発ででない)元は播州で割拠する小名の家老職。それが信長の先見性を見抜いて、自ら部下同然になる。もっとも依然として元の君主は生きているので二股?本人は元の君主もまた信長の部下になるものと思っていたのでそうとは感じていなかった。だが見捨てられたと感じた君主は播州蜂起でカンベエと袂をわかつ。おかげでカンベエは地下牢にとじこめられ、片足を悪くし半分はげにもなってしまう。これがこの名軍師、最大の失敗。そして本能寺の変では秀吉の尻を叩いて天下を取らせたといわれる。ただあまり報われなかったが、それは秀吉に警戒されたため。のちに関が原がおきた時、なんと九州の片隅わずか10万石程度の小藩、おまけに主力は徳川方の味方として出兵・・・そんな中で兵をあげ、九州の豊臣方をあつとい馬に平らげ、最後に残った薩摩攻略の直前に関が原の勝利の報がとどく。ある意味不運。

もつとも逸話に秀吉が「わしが死んだら誰が天下をとる?」の質問に居並ぶ大名達が色々名をあげるが「違うよ。このちんばさ」と指名された男である、このくらいはあたりまえか。このあと福岡で大大名になるが、秀吉が警戒するくらいである、当然家康も警戒<関が原で大阪方の裏切り工作をした息子の名前であたえられる。晩年は子どもを集めて遊び暮らしたといわれるので、ある意味人生の達人でもあったでしょう。

島津家・・・島津に馬鹿殿なしといわれるほど、よい君主に恵まれた藩です。ただ、その勃興期に秀吉とぶつかったのが、身の不運。大敗後、元の領地に押し込められたわけですが、もし信長ならもつと酷いことになつたとおもわれます。そういう意味では幸運。さらに関が原で三成の拙劣な指揮に起こった島津は戦わず、三成方の敗北が決まってから動きます。なんと徳川の陣の前を横切り脱出にかかったのです。「関が原の退き口」といつて薩摩の伝説になつた壮絶な脱出劇のはじまりでした。その時の兵は2000弱。帰り着いた時は100をきりました、だが総大将は生き延びたのです。この勇猛な行動のおかげで島津はついに領土を削られること無く、大大名として残りました。また九州征服時に増えた家臣のせいできわめて貧しい藩になりましたが・・・

沖縄を征服・中国との密貿易で巨万の隠し財産をきずきます。これが後の倒幕の原資となるわけですが、勝ち組というには微妙?

前田家・・・犬千代さんですね。秀吉の友人であつたため、柴田の与力であつても厚遇され、秀吉の引きでドンドン領地が増え、楽して出世したタイプ。本来なら、その引き立ての反対給付として、家康と敵対しなければならない時にあっさり死亡。利家が死んだら義理立てはすんだと一気に徳川に膝を屈します。もつとも、100万石です。なかなか徳川の監視も厳しいと、徳川時代を通じ文化に力をいれます。町を歩くと謡がきこえるという加賀文化が花ひらくことになります。勝ち組。



ついつい徳川時代までいれてしまうので、質問にもどり「戦国時代っていつからいつまでだ?」

1473-1573だいたいこのあたり。応仁の乱から、信長が足利将軍を追い出し天下統一に乗り出すまで・・・・えぇぇぇーっ!

信長が生きてる!!!ひつかけ問題か?



ならば答えは 織田信長 この人が一番。

もし宗教組織をいれていいなら 浄土真宗本願寺

・・・なかなか大変な問題でした。







これで家康っていったら、あんまりですよね。



土佐二十四万石を貰った山内一豊にしておきます。







豊臣秀吉。戦国時代じゃなかったら成り上がてないでしょうかね。家康が天下取った、安土桃山時代だから戦国時代ではないような。







徳川家でしょ?



きっとこんな答えでは、いけないんでしょうね。



質問の趣旨が図りかねます。